アラン・ドロンの失敗作(その2) | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、アランドロンの映画【さすらいの狼】がヒットしなかったのは、アルジェリア戦争を描いていたために、当時のフランス政府から上映禁止になったから・・・のつづきです。

 

今年の3月にモロッコに行った時、ついでにお隣のアルジェリアも訪れたいと考えました。(無知とは恐ろしいものです。)

 

ところが、観光の目的地としては相当ハードルが高かったのです。

 

1962年のフランスからの独立後も、まだ戦争の影響を引きずって不安定なままなのです

 

1964年制作のこの映画は、その影響をモロに被ったのです。

 

アルジェリア戦争は想像を絶する酷さだった。

 

アルジェリアがフランスに併合されたのが1834年。

 

それ以前の宗主国はオスマントルコでした。

 

フランスはアルジェリアを植民地ではなく、自国の領土の一部として併合しました。(フランス領アルジェリア)

 

フランス(や他の国)からたくさんの人が移住(入植)しました。

 

人口は1830年の150万人から1962年には1100万人に達しました。

 

130年も続けば、そこで生まれ育った人もフランス人なのですが、ヨーロッパ系の入植者たちは「コロン(ピエ・ノワール:黒い足)」と呼ばれて、本国と現地の両方から差別されました。

 

有名人では、アルベール・カミュ、ジャック・アタリ、イヴ・サン=ローランらがピエ・ノワールです。

 

フランスの統治は過酷を極め、アルジェリア人から土地を奪い、彼らの生活基盤を破壊しました。

 

さらに彼らはフランス兵として、二つの大戦に徴兵され酷い扱いを受けました。

 

そりゃあ怒りますわな。

 

各地で暴動が起き、それを鎮圧するのに暴力が振るわれ、殺し合いはエスカレートして収拾がつかなくなりました。

 

結局、ド・ゴールが担ぎ出され、アルジェリアの独立を承認しました。

 

ぼくが小学生の頃の話です。

 

アルジェリア戦争が酷いことになって、フランスが苦労していたことをかすかに覚えています。

 

フランスはこれを戦争として認めず、しばらく「事変」と呼んでいました。

 

なんか最近も聞く話ですね。(^^ゞ

 

・・・つづく。