・・・・・・・っということで、池田晶子さんの本をまとめて読んだ時期があります。
ご存知かもしれないですが、彼女は数少ない女性の哲学者で2007年に46歳という若さで亡くなっています。
何冊も読んだのに、頭に残っているのはほとんどありません。T_T
やっぱり、本は若い時に読むべきですね。
それでも、残っている言葉に「死はない」です。
彼女は自分の短命に気づいていたのか、死について頻繁に言及していました。
「死はない」とは、文字どおり死は存在しないということです。
長く生きていれば、死に数多く遭遇するものです。
なんだよ、死は至る所にあるじゃないかというのが正直なところです。
いまだに、この言葉を消化しきれていません。
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まず思い当たるのが、死んでしまえば本人は気づくはずがないから死はないと言い切ったのか?です。
この世の中は全てヴァーチャルだとぼくは思っています。(何回も書いていますが)
全てが脳内で生成された世界だと言う意味です。
とすれば、死だってヴァーチャルだということにならないか?
でも、聡明な彼女がこんな単純な理屈で言うはずがないのです。
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そこで考えたのが「死はない」あるいは「死はある」というとき、存在するか否かを論じていることになります。
では存在するとは何でしょう?
何を言っているのか、ここにあるからあるのであって、それが存在する証拠じゃないか。
常識ですよね。
でも、過去にはあったけど今はないは正しいですよね。
過去の自分と現在の自分は違いますから。
じゃあ、将来もあるの?と聞かれれば、それはわからないと答えるしかないですね。
じゃあ、存在するのはいつ?と聞かれれば、「今」としか答えようがありません。
じゃあ「今」とは何????
あるのは今ですが、今と答えた途端今じゃなくなる。
死も同じです。
自分の死は過去にはなかった。
将来は必ずあるだろう。
じゃあ、今自分の死はあるか?
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貧弱な頭で考えたのは、「今のところ」この程度です。(;^_^A
