・・・・・・・っということで、旅行って旅行中に感じることが大切なのですが、実は、帰ってから感じることがとても重要なんです。
短い旅行でも、帰ってきたらそれまでとは違った目で、それまでの生活を新しい目で見ることができるのです。
皆さんも、そんな経験をするでしょう?
海外、それも2ヶ月近く旅行した後では、帰国後、まるで自分が外人になったような目で日本を見ることができるのです。
これは、以前なん度も経験したことですが、残念ながら、その賞味期間はとても短いのです。
普段の生活が続いたら、すぐにその新鮮な視線は効力を失うのです。
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今回帰ってきて、強く感じたのは、「日本って大人しい」でした。
羽田の第3ターミナルから京成線に乗って、蒲田で東急線に乗り換えるのですが、駅が離れていて少し歩くのです。
歩いていて、感じたのが「日本って大人しい」でした。
街が静かなのです。
蒲田ってまあまあの街ですから、もっと騒々しくなければならないのです。
イタリア人の街は比較にならないくらい騒々しいですけど、普通どの国でもこれくらいの街だったら、騒音に溢れていなければならないはずです。
ところが、話し声は聞こえてもヒソヒソ話程度。
聞こえてくるのは、自動販売機や音声案内の人工の声ばかり。
車の走行でも大人しいです。
ヨーロッパで特に感じたのが、カーブでのグイッとする曲がり方。
タイヤがスリップするくらいが当たり前です。
ところが日本の車は静かぁ〜に曲がります。
横断歩道でも信号機に忠実に従います。
実際の騒音ばかりでなく、街全体が静かなんです。
これには驚きました。
ショックと言っていいくらい驚きました。
日本って、静かな国なんだ。
だから、中国人のバカ声が目立つのです。
声といえば、ヨーロッパに行く毎に移民が増えています。
連中が発するでかい声は怖いくらいです。
日本には、まだまだ移民の数が少ない。
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旅行中にも書きましたが、特にイタリア人のうるささには、辟易とさせられました。
しかし、よく考えてみると、彼らは「今を生きている」んです。
キリギリスに例えましたが、「後先のことを考えていない」。
気候風土のせいだろうと書きましたが、そういう生き方は頭から否定できないのです。
今を生きて何が悪いんじゃ。
今以外にいつ生きるんじゃ。
・・・という反論は、かなり正論なのです。
すると、静かな日本。
「今を生きているのか?」と問いたくなるのです。
これはかなり正しい問いのように思えます。
日本は今を生きていないんじゃないか。
そりゃぁ〜現代は不確実な時代です。
先のことなんか見通せません。
でも、だからといって、生きるべき今を生きていないと見られるのはとても問題なのです。
本当に、日本人は自信を失って大人しくなってしまったのか?
もしそうだとすれば、これは大問題なのです。
ぼくでさえ気付くのですから、海外からやってきたガイジンたちは真っ先に気付くのです。
連中はこりゃいいカモだと見るのです。
それが世界の常識なのです。
今を生きるとは何なのか、それを考えることの重要性に日本人は早く気付くべきです。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、今回の旅行で最大の収穫が、この気付きだと思っています。