・・・・・・・っということで、ボスニア・ヘルツェゴビナとは何かを書くのはサラエボとは何かを書くのと同義です。
チトーが目指した理想国家が、何故これほどに悲惨な運命を辿ったのか?
歴史の皮肉を思いっきり考えさせられます。
あまりに考えさせられるものですから、頭がパンクしそうになります。
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サラエボという名前は、トルコ語の「サライ」から来ています。
キャラバンサライのあれですね。
オスマントルコに占領されていたのはセルビアと同じです。
初日で驚いたのは、サラエボが超観光地だったことです。
ヨーロッパから見て南東の端っこにある小国の街が、なんでそんなに観光の目的地になるのか?
大いなる謎ですよね。
それは、サラエボが魅力があるからです。
その魅力は何かって?
ここに集まってくる西洋人の観光客の目的が、まさかフェルディナンド皇太子夫妻の暗殺の現場だからではないはずです。
連中が、歴史に興味を持っているはずがありません。(キッパリ)
理由はそんな教養とは無関係なはずです。
なぜか来てみたいのです、サラエボという街に。
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サラエボの魅力を考える時に、まず地理的条件を考慮するべきでしょう。
オスマントルコ以前から、ここは栄える必然性を持っていたのです。
それは、ヨーロッパと東を結ぶ交通の要衝だったからです。
ご覧の通り、バルカン半島は山岳地帯です。
この細くて曲がりくねった道は東西を結ぶ通路の難所です。
サラエボはその街道沿いにまとまった広さを有するのです。
苦労して山道を辿ってきた商人や旅人たちが、サラエボに着いた途端に視界が広がるのです。
もちろん前後の道は険しいです。
だからこそ、このサラエボが中継地点として栄えた理由があるのです。
だから、「サライ」なのです。
トルコ語から来たサラエボは開けた土地にあるサライという意味だそうです。
今日、引き返してまでもツイストタワーに登ったのは、地形を確認したいからだったのです。
写真を見ても分かりませんよね。
ただ、周囲が山に囲まれていることだけ着目しておいてください。
実は、この山で囲まれていることが大問題になるのです。
そう、サラエボ包囲戦のことです。
・・・つづく。