バルト三国とは | so what(だから何なんだ)

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68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、エストニアとは何かを語る前に、先ずバルト三国が何で三つに分かれているかを知る必要があります。

 

三国ともバルト語を源流に持っています。

 

しかし、エストニア語、ラトビア語、リトアニア語と3つに分かれています。

 

なぜ??

 

これは、歴史的な背景が大いに作用しています。

 

三国は別々に異なる、あるいは同一の他国に入れ替わり支配された歴史があります。

 

エストニア語はフィンランド語に近いそうです。

 

エストニアとラトビアでは言葉がかなり通じないそうです。

 

リトアニアは最もバルト語の原型が残っているそうです。

 

言葉が少しづつ違うのは民族の違いとすれば一番理解しやすいのですが、確かに民族の違いは存在しますが、日本ベースで民族のことを考えると、誤解してしまいます。

 

ぼくらが想像するよりずっと複雑なのです。

 

三国に分かれているのは、支配者の違い、民族の違い、言葉の違いが少しずつ進んだからと考えるのが妥当ではないかと思います。

 

・・・・・・・

 

じゃあ、なぜ三国に分かれたのか?

 

それは、地図を見れば理解できます。

 

三国ともバルト海に面しています。

 

タリンとリガは首都なので、海運で栄えたと思って間違いないでしょう。

 

ビリニュスだけは内陸部に位置しています。(栄えた港も持っていますが。)

 

栄える理由は、バルト海を主とした交易ルートだと気付きます。

 

もちろんスカンジナビア三国との貿易でしょう。

 

バルト三国の各都市ははハンザ同盟の重要な地位を占めていました。

 

もう一度地図に戻れば、バルト海の先にはサンクトペテルブルグがあります。

 

そっか、これらの三国はロシアとの交易ルートでもあったのだと気付きます。

 

ビリニュスの位置が内陸なのも、ヨーロッパとつなぐルートの重要な位置だからだとわかります。

 

エストニアとラトビアは国家として成立した過去は20世紀初頭までありませんが、リトアニアだけはリトアニア大公国として13世紀から18世紀まで存在しました。

 

そしてポーランドと共に、他のバルト二国を支配したこともあります。

 

・・・・・・・

 

それでもバルト三国が別々の独立国家として存続するのは不思議ですよね。

 

三国ではなく、一国にまとまればいいじゃん・・・と、外野のぼくらは思います。

 

確かに、20世紀初頭(ロシア帝国から同時に解放された時期)にはそういう議論もあったそうですが、実現しませんでした。

 

やはり、歴史の重みというものは理屈では理解できないのでしょう。

 

もちろんロシア(ソ連)の影響はとても強く受けていました。

 

バルト三国が独立を果たしたのは、エストニア1918年2月24日、ラトビア1918年11月18日、リトアニア1918年2月16日で、ほぼ同時です。

 

ちなみにフィンランドの独立は、1917年12月6日です。

 

しかし、ソ連から独立を回復したのは1989年のベルリンの壁崩壊後の1991年とつい最近のことなのです。

 

・・・・・・・

 

以上が、バルト三国の歴史的背景です。

 

(結構本質を突いたまとめだと自負しています。)(^^ゞ

 

これを元に「エストニアとは?」をぼくなりの理解で進めます。