・・・・・・・っということで、芸能界のことに疎いぼくが、ryuchellさんについて語る資格はありません。
しかし、疎いからこそ別の視点を提供できるかもしれません。
いまLGBTQ+運動って脚光を浴びていますよね。
その根本にあるのは、「性の多様性」ですよね。
ryuchellさんも、このLGBTQ+に分類される人だったという理解でいいですよね。
過去にも、何度かこのブログで触れましたが、問題の本質はそういう人たちを「差別」することにあるんです。
この問題がクローズアップされたのは、彼らが差別されているからです。
差別と言っても、海外の差別は日本のそれとは比較にならないほど酷いものなんです。
だから声を上げた。
ぼくは、この運動に関して、日本は海外とかなり違っていることを考慮すべきだと思うのです。
それは歴史的な背景の違いです。
日本に限らず、男娼とか同性愛は古くから存在していました。
信長の小姓だった森蘭丸とか、大奥のレズビアンなど、例を挙げるまでもないでしょう。
日本の場合LGBTQ+に対しておおらかでした。
マツコデラックスをはじめ、彼らはTVで引っ張りだこじゃないですか。
実におおらかだと思いませんか。
おおらかすぎて、ジャニーズ事務所が犯した犯罪を見逃したほどです。
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誤解を恐れずに書いちゃいますが、LGBTQ+は「アブノーマル」なんです。
最近はアブノーマルなんて言っちゃうと袋叩きに遭いそうですが、程度の差こそあれ、人間誰しもアブノーマルな部分を持っているでしょう。
アブノーマルはノーマルの反対。
じゃあ、ノーマルは何だと問われれば返事に窮してしまいますが、アブノーマルのどこが悪いんじゃ!!と開き直れないのが弱いところ。
でも、LGBTQ+の本質ってそういうものじゃないですか?
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目に余る差別は許せないけど、本当は「そっとして欲しい」ものじゃないですか?
人間として「性の多様性」を求めるのは当然です。
その運動に対して、全面的に同調します。
しかし、本来はスポットライトが当たらないものに、光を当てててしまった。
日本のような歴史を持った国で、果たしてそれはプラスになるのか?
逆に、自分たちの首を絞めてしまったことにならないか?
ryuchellさんは不幸にも、その犠牲者になってしまったのではないかと思えて仕方ないのです。
