・・・・・・・っということで、キリスト教の不思議なところ、それは「神の存在を証明しようとすること」です。
普通に考えて、宗教というものは「神が存在することが前提」で成り立っています。
それが大前提であって、それを基礎に宗教は築き上げられているものです。
ですから、証明する以前の問題なのです。
その点、イスラム教などは潔い。
アッラーアクバル!!・・・でオシマイ。
アッラーの存在に疑いの余地がありません。
キリスト教も同じです。
なのに、いわゆる無神論者に理論的に反論するのです。
ムキになって。
その一つの理由に、プロテスタントはゲルマン系から始まったからと思われます。
ゲルマン人は理屈っぽいのです。
神でさえ理屈で理解しようとするのです。
無神論者は理屈で押してきますが、それを理屈で押し返そうとするのです。
このあいだ知ったのですが、ある聖職者が宇宙の成り立ちには「意思が働いていると考えざるを得ない」と、物理学を用いて結論づけていたことです。
これには驚きました。
・・・・・・・
同じキリスト教でも、カトリックは非科学的でも気にしません。
数々の奇跡だって、そのまま受け入れます。
やはり、ラテン系のおおらかさを感じます。
ローマ・カトリックを批判した宗教改革(16世紀)は、ドイツのルターやスイスのカルバンなどのゲルマンから始まっています。
彼らは、カトリックが築き上げた神のイメージの否定から始まらざるを得なかった。
ですから、彼らの得意な理屈で立ち向かったのです。
無神論者への反論も年季が入っているのです。
しかし、皮肉なことに、理屈で反論すればするほど神の存在を疑っているように見えるのです。
