・・・・・・・っということで、NHKでChat GPTについて特集していました。
技術というものは、いちど世の中に出ると、もう誰にも使用を止められない。
新しい技術はプラスの面とともに、必ずマイナスの面をもっている。
いかにマイナスの効果を減らし、プラスの面による恩恵を受けるために工夫改良をして使える技術にするかしかない。
それが人類の利益につながるのではないかと結んでいました。
番組では、作詞作曲をしたり、プログラミングを書かせたり、長文を要約することもできることを紹介していて、驚きました。
ぼくが想像していたチャットGPT の使い方は、あくまで文章の「補助的な」使い方です。
実際に出てくるAIの文章は、まとまってはいるものの、どこか優等生的で無機質な印象が拭えないのです。
あくまで骨子は人間が作成し、それをAIの知恵を参考にするという使い方が正しいと思うのです。
例えばぼくがこのブログを書く時、参考にしたい知識やデータはインターネットで検索します。
検索した結果を自分の文章に加えていって完成させるのです。
インターネットのおかげで、ずいぶん楽になりました。
しかし、AIに任せればその手間も省けることになります。
それを自分なりに添削したとしても、はたしてそのブログは自分が書いたものと言えるのでしょうか?
そもそも、文章を書く意味があるのかという疑問が生まれてきます。
番組でも問題として指摘していましたが、その弊害が顕著に現れるのが教育現場です。
一番大事な「考えて→疑問を持ち→調べて→まとめて→また考える」というサイクルをAIに任せてしまえば、自分が学習する能力を身につけるという勉強本来の目的を放棄してしまうことになるのです。
これはもう教育とは呼べないのではないでしょうか。
「自分で考える」ことを放棄してしまえば、人生における一番面白いエッセンスを手放すことと同じではないでしょうか。
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以上の文章をAI君に添削してもらったのが以下の文章です。
趣旨は同じですが、より無駄なく洗練されていることに驚きます。
添削: 以下が修正後の文章です。
技術というものは、一度世の中に出ると、もはや誰にも使用を止められないということですね。
新しい技術には、必ずプラスの面とマイナスの面があります。
私たちは、マイナスの効果を減らし、プラスの面による恩恵を受けるために、技術を工夫し改良して使用するしかありません。
それが人類全体の利益につながるのではないかと思われます。
番組では、Chat GPTが作詞作曲やプログラミングのサポート、長文の要約など、さまざまな使い方が紹介されていました。
私自身、チャットGPTを想像していたのは、文章の補助的な使い方でした。
実際に生成されるAIの文章は、まとまってはいますが、どこか優等生的で無機質な印象が拭えません。
私は、人間が骨子を作成し、それをAIの知恵を参考にする使い方が適切だと考えています。
例えば、私がブログを書く際には、インターネットで検索して必要な知識やデータを参考にします。
それを自分の文章に加えていって完成させるのです。
インターネットのおかげで、ずいぶん楽になりました。
しかし、AIに任せればその手間も省けることになります。
それを自分なりに添削したとしても、果たしてそのブログは自分が書いたものと言えるのでしょうか?
そもそも、文章を書く意味があるのかという疑問が生まれてきます。
番組でも指摘されていましたが、その弊害が顕著に現れるのが教育現場です。
一番大切な「考えて→疑問を持ち→調べて→まとめて→また考える」という学習サイクルをAIに任せてしまえば、自分が学習する能力を身につけるという勉強の本来の目的を放棄してしまうことになります。
これは、もはや教育とは呼べないのではないでしょうか。
「自分で考える」ことを放棄してしまえば、人生における一番面白いエッセンスを手放してしまうことになります。
以上、これじゃ0点だと先生に採点されてしまうのでしょうか?
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