・・・・・・・っということで、泊りがけの実家の片付けも6日目になりました。
和室、リビング、キッチン、洗面所、バスそしてトイレがようやく目処が付きました。
残るは北側の寝室2部屋と玄関です。
右側の部屋はぼくが大学卒業後、5年ほど暮らしていました。
その後は父のアトリエになり、最後は物置と化しました。
これからが本番です。(^^)/
出るは出るは、昔なつかしい品々。
母と同様、父も捨てることを知らない人間だったんだぁ~。
戦中戦後を経験した人は、皆同じなんでしょうね。
父は定年退職後、某私立大学に再就職しました。
所属は国際部だったことを知りました。
大学からと台湾の留学生の両方から、感謝状が2通出てきました。
どちらも父の博識と、人格を高く評価したものでした。
特に、台湾の文面には真心がこもっていました。
そうだろうなぁ~、オヤジは中国の歴史とか漢文の教養が高かったもんなぁ~。
習字が上手かったし、漢詩などサラサラと書きましたから。
台湾の留学生に慕われるのは当然でしょう。
部屋に山積みになっていた烏龍茶、紹興酒、高級洋酒は留学生たちからのお礼の品々だったのでしょう。
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父は、一時期習字のクラスに通っていましたが、すぐに先生より上手いことが分かり止めてしまいました。
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最後は絵画スクールに通っていました。
これにはずいぶん入れ込んでいたようです。
膨大なスケッチと作品が出てきました。
息子のぼくが言うのもナンですが、上手いです。
先生の添削もありますが、ほとんどベタ褒めです。
修正箇所も些細なもので、解釈の違いといって良いレベルでしょう。
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父の遺品を整理していると、その偉大さに圧倒されてしまいます。
誰もが思うことですが、生きている間にもっと親のことを知りたっかと後悔しています。
そんな秀才の父だったのに、ぼくに対してはとても優しかった。
甘やかされたと言っていいくらいです。
今になってその理由が分かりました。
早い段階でオヤジはぼくを見抜いたはずです。
コイツは馬鹿じゃないけれど、凡庸な人間だと。
鍛えても大成しないと見切ったはずです。
これだけ教育者として高いポテンシャルを持った人が、息子を鍛えようとしないはずがない。
そうしなかったのは期待しても無駄だと知っていたからでしょう。
その判断は正しかったと、いまのぼくを見れば証明されましたね。
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まだまだ時間がかかりそうです。