凡庸な息子 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、泊りがけの実家の片付けも6日目になりました。


和室、リビング、キッチン、洗面所、バスそしてトイレがようやく目処が付きました。


残るは北側の寝室2部屋と玄関です。


右側の部屋はぼくが大学卒業後、5年ほど暮らしていました。


その後は父のアトリエになり、最後は物置と化しました。


これからが本番です。(^^)/


出るは出るは、昔なつかしい品々。


母と同様、父も捨てることを知らない人間だったんだぁ~。ショボーン


戦中戦後を経験した人は、皆同じなんでしょうね。


父は定年退職後、某私立大学に再就職しました。


所属は国際部だったことを知りました。


大学からと台湾の留学生の両方から、感謝状が2通出てきました。


どちらも父の博識と、人格を高く評価したものでした。


特に、台湾の文面には真心がこもっていました。


そうだろうなぁ~、オヤジは中国の歴史とか漢文の教養が高かったもんなぁ~。


習字が上手かったし、漢詩などサラサラと書きましたから。


台湾の留学生に慕われるのは当然でしょう。


部屋に山積みになっていた烏龍茶、紹興酒、高級洋酒は留学生たちからのお礼の品々だったのでしょう。


・・・・・・・


父は、一時期習字のクラスに通っていましたが、すぐに先生より上手いことが分かり止めてしまいました。


・・・・・・・


最後は絵画スクールに通っていました。


これにはずいぶん入れ込んでいたようです。


膨大なスケッチと作品が出てきました。


息子のぼくが言うのもナンですが、上手いです。


先生の添削もありますが、ほとんどベタ褒めです。


修正箇所も些細なもので、解釈の違いといって良いレベルでしょう。


・・・・・・・


父の遺品を整理していると、その偉大さに圧倒されてしまいます。


誰もが思うことですが、生きている間にもっと親のことを知りたっかと後悔しています。


そんな秀才の父だったのに、ぼくに対してはとても優しかった。


甘やかされたと言っていいくらいです。


今になってその理由が分かりました。


早い段階でオヤジはぼくを見抜いたはずです。


コイツは馬鹿じゃないけれど、凡庸な人間だと。


鍛えても大成しないと見切ったはずです。


これだけ教育者として高いポテンシャルを持った人が、息子を鍛えようとしないはずがない。


そうしなかったのは期待しても無駄だと知っていたからでしょう。


その判断は正しかったと、いまのぼくを見れば証明されましたね。


・・・・・・・


まだまだ時間がかかりそうです。