・・・・・・・っということで、戦後76年が経ち、体験談を語れる人はほんのわずかになってしまいましたね。
終戦が1945年ですから、昭和20年。
そのとき父は18歳。
母は16歳。
とんでもない青春時代を送ったんですね。
もっと話を聞いておけばよかった。
戦争体験談、聞いたことある?
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父はプロの軍人(陸軍士官学校)を目指していましたが、ギリギリ行かずに済みました。
同期生の中には戦死した者もいたようです。
終戦時は空襲を避けて嬬恋村で訓練していました。
情報が入って来ず、ずいぶん焦ったようです。
中には、東京に切り込みに行こうかという意見もあったようです。
解散後は靴下に米を入れ、気のみ気のまま故郷の松山を目指したそうです。
身分が身分でしたので、米軍に報復されるとの噂があり、ずいぶん怖かったようです。
宿泊代としてそのお米が役立ったと言っていました。
故郷に帰っても家族は朝鮮に移住していて、父は家族を追って半島に渡ろうと密航を試みたそうです。
18歳の青年の、すごい冒険談ですよね。
・・・・・・・
母は愛媛県の波止浜に住んでいましたが、造船所があるので空襲を受けました。
サーチライトに照らされたB29はずいぶん綺麗だったそうです。
広島は瀬戸内海を挟んだ対岸ですので、原爆の光を見たそうです。
でも、母本人が見たのか、おばあちゃんなのか定かではありませんが。
・・・・・・・
いつでも聞けると思っていたら、永遠に聞けなくなってしまいました。
本人たちも積極的に話そうとしないものです。
両親とも、終戦と聞いて心底良かったと思ったそうです。
世間も同じで、あの何とも言えない明るい雰囲気は忘れられないと、二人が口を揃えて言っていました。
辛い話より、その不思議な明るい雰囲気のことが聞けただけ貴重だと思っています。

