ミャンマーってどんな国?(その1) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、いま話題のミャンマーについておさらいします。

ミャンマーに一度だけ行ったことがあります。

ちょうど首都がヤンゴン(ラングーン)からネピードーに遷都されたばかりの頃でしたので、2006年前後でしたでしょうか。 

間違いで、2012年でした。m(_ _)m


ネピードーからヤンゴンまで(370km)、徹夜でクルマ移動した苦労話は、このブログでも書きました。


ヤンゴンは古い町です。

イギリス統治時代の建物をそのまま使い続けています。

何とも貧しい国ですが、人間は気骨のある人が多いような印象を受けました。

ミャンマーを語る上で、イギリスの植民地時代抜きには語れません。

1886年に英領インドに編入され、1948年1月4日に独立となっていますが、1943-1945は日本の統治領にもなっています。

ぼくも日本統治を行ってみて初めて知ったくらいですから、日本人の無関心さも呆れますね。

さて、イギリスです。

インドを植民地(東インド会社)にしたのはご存じの通り。

イギリスの植民地政策は巧妙で、実にエゲツないのは定説です。

ミャンマー(当時はビルマ)支配もインドでの手法を応用しています。

1)イスラム教徒のインド人・華僑を入れて多民族多宗教国家に変える。

2)周辺の山岳民族(カレン族など)をキリスト教に改宗させて下ビルマの統治に利用。

3)インド人が金融を、華僑が商売を、それぞれ担当させた。

4)山岳民族が軍と警察を握り、ビルマ人は最下層の農奴にされた。

この目的は、民族による分割統治政策です。

ぼくも感じたのですが、貧富の差が大きい。

いま、軍のクーデターで、内戦の様相を呈していますが、原因は統治時代の身分の上下関係にあったのです。

イギリスのやり口は、常に自分達の手はなるべく汚さず、支配民同士で憎しみ合わせるのです。

なるべく地域を不安定にして、最小限の労力で支配するのです。

パレスチナ問題なんか典型的な例です。

ホントーにイギリス人は悪知恵が働くのです。

一体どうやって学んだのでしょうね。

日本の「大東亜共栄圏構想」なんて幼稚そのもの。

・・・

長くなってしまったので、つづく。