・・・・・・・っということで、イタリアの環境ヴィデオをぼぉ~っと見ながら考えました。
人生を謳歌するってどういうことだろうと。
イタリアの風景は美しい。
建物との調和も素晴らしい。
海岸に迫る急峻な崖にへばり付くように建っているカラフルな家々。
青い入り江には、数々のヨットやボートが並んでいます。
そう、ボートなのですよ。
日本も周囲を海に囲まれて数々の入り江があるけれど、個人所有のボートは希です。
殆どが漁船。
日本と比べてイタリアのほうが金持ちだとは思えません。
ボート(やヨット)を所有するのは、必ずしも大金持ちじゃないはず。
一般の人でも手が届くから、これほど多くのボートが係留されているのです。
・・・っで、ボートで何をするか?
余生を謳歌するのです。
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日本人は余生を謳歌するって、何か悪いことだと考えているのでしょうか?
決して長くはない人生のうちで、謳歌せずに終わるって、とてもつまらないことではないでしょうか。
成人になってすぐ働き始め、60歳を過ぎたら定年を迎える。
働くことに生き甲斐を見出だすって、分かりますよ。
それはそれで価値のある生き方です。
でも、働くのは生きていくため。
働く代償は自分のためより、他人のため。
ぼくだって35年間働きましたが、会社にとってお買い得だったと思いますよ。
会社は自覚していないのが残念ですが、大分儲けさせてあげたと断言できます。
遣り甲斐という訳の分からないものと交換に、自分のエネルギーと時間を提供しました。
しかし、その期間は決して人生を謳歌したとは表現できません。
考えるまもなく、社会のシステムに組み込まれたというのが正直な感想でしょう。
たぶん日本人の殆どが、そういう人生を受け入れてきたはずです。
使い捨てとは言わないけれど、せめて残された人生を謳歌したいという希望は、そんなに贅沢なことでしょうか。
定年後、まだまだ自分は働けると思いながら、さらに報酬の少ない仕事にしがみつくのも人生。
でも、結局人生を謳歌せずに終わるのです。
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謳歌という言葉は、青春を謳歌するときも使います。
まあ、人によって青春は様々ですが、ぼくに限っては謳歌したとは言えません。
どちらかというと、社会の仕組みが分からず、ビクビクしていたというほうが正しいかも知れません。
それでも、大人から見れば、そんな青春でも謳歌と表現するのでしょうが。
今の大人たちのどれほどが、自分は青春を謳歌したと胸を張って言えるのでしょうか。
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人生を謳歌するには金がかかるとの反論もあるでしょう。
じゃあオマエ、瀬戸内海か伊豆半島に別荘を買って、ヨットに乗って人生を謳歌すれば良いじゃないかと言われるかも知れません。
そうじゃない。
人によって謳歌する仕方は様々のはずです。
要は、その人の培ってきた価値観でしょう。
その人が人生で学んできた経験を土台とする教養でしょう。
自分がしたいと思うことが無いなんて、寂しすぎませんか?
日本人は自己規定が強すぎるのです。
そのために、がんじがらめになっているのです。
誰もそんな人生を誉めてくれない。
人生を謳歌すれば良いんです。
イタリア人のように、ギリシャ人のように、さっさと仕事から解放され、元気なうちに好きなことをすれば良いのです。
誰にも止められない。
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ってなことを、ウッドデッキでスパゲッティーランチにスパークリングワインを飲みながら考えたのでございます。

