・・・・・・・っということで、NHKでコロナについて、哲学的なアプローチで考える番組を再放送していました。
対立概念にはノモス(法や社会制度)があるそうで、ノモスはピュシスのような絶対的な存在ではなく、相対的な存在であり、人為的なものであるがゆえ、変更可能であると考えられています。
番組ではピュシスに対して「λόγοςロゴス」を用いていました。
ロゴスとはよく聞く言葉ですが、言葉・理性という意味を始め、とても広い概念を持った言葉です。
ぼくは、何回聞いても分かりません。(^^ゞ
ぼくの理解では、ロゴスは【言葉】です。
このブログで何度も書きましたが、言葉は人間だけが持つ能力ですが、言葉によって人間は存在するようなものです。
何故かというと、人間は片っ端から言葉に変換し、変換した言葉によって物事を【理解】するからです。
ですから、人間はヴァーチャルな世界に生きているのだとぼくは書いてきました。
・・・・・・・
さて、番組の内容です。
コロナというウィルスはピュシス(自然)に属します。
しかし、ウィルスは人を殺す憎っくき対象です。
人類はこのウィルスに打ち勝とうと、全力を上げています。
・・・何故?
とチコちゃん風に問いかけます。
それは人間が、築き上げてきた社会の秩序を破壊するからです。
じゃあ、どんな社会を人間は築き上げようとしているの?
それはウィルスのような害悪のない世界でしょうか?
登場者の一人が指摘します。
人類はどんどん潔癖症になってきているのではないか?と。
それはナチスがユダヤを絶滅させて、アーリア人の純血を守ろうとしたことと同じではないかとまで言います。
ここに、ロゴスの世界とピュシスの世界との間に対立が生まれます。
コロナは確かに戦う相手かも知れないけれど、「憎む相手」とは違うはずでしょう?
covid-19を絶滅させたとしても、人類は常にウィルスの脅威からは逃れられない。
ウィルスはピュシスからの【警鐘】と捉えれば、決して悪ではない。
むしろ人類にとって有用だとさえ言えるのではないか。
人類は理想社会を築くことに邁進してきました。
でも、その理想社会とは何かを問いかけるべきではないか。
実は、ウィルスとの共存なしには生きていけないことに気付くべきではないか?
つまりどちらが正しいというのではなく、ピュシスとロゴスは共存するものだということを、今回のcovid-19は教えているのではないだろうか。
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ぼくはこの考えに大いに同調します。
人間はどんどん賢くなっていると同時に、馬鹿になっていると思うからです。
物事の本質というものを考えなくなってきているからです。
ピュシスもロゴスも紀元前のギリシャの言葉です。
あれから人類は大きく進歩したのでしょうか?
今という時代の本質を語るのに、古代のギリシャ語を使わざるを得ないところに、皮肉を感じてしまうのです。