次に進むため(その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、「神も仏もあるもんか!」という捨てぜりふのように、神と仏は同列に扱われています。

神はヤハウェでありアッラーであり、Godであり八百万(やおろず)の神であります。

一方、仏様は天国にいるし、お願い事をすれば何か叶えてくれそうです。

仏教も宗教だから、仏もOne of 神sだと思われがちです。

ぼくも、何となくそう思っていました。

ところが全然違うんですね。

仏教で言うところの仏は、れっきとした人間であって、(宇宙の?)真理を覚った人を指すのです。

覚った人の代表格がお釈迦様=ブッダ=ゴータマ・シッタルーダ君なのですね。

悟りのレベルにもいくつか種類があって、最高の覚りを開いたのがブッダな訳。

じゃあ、ブッダは神をどう説明したか?

実は語ることを避けたみたいなんです。

でも、ぶっちゃけた話、彼は無心論者であったようです。

・・・・・・・

前回、神とは、納得して先に進めさせる役割を担っていると書きました。

では、仏教にそのような効能はあるのでしょうか?

ありますよね、お正月に皆さんお賽銭を投げて、お願い事をするでしょう。

ナぁ~ンだ、やっぱり仏も神と同じく、人智を超えた存在なんだ。

だったら、仏=神でイイじゃん。

確かに仏教に神と同じ効用を求めているのは確かです。

それは人間の性(さが)というものでしょう。

・・・・・・・

ブッダは紀元前5~6世紀の人です。

仏教が広まるにつれて、様々な解釈(宗派)が生まれ、オリジナルの教えから変容していきました。

これはあらゆる宗教に付き物で、仕方のないことです。

そうして、仏教は多神教的性質を持つようになったのです。

その方が、ぼくら凡人には受け入れやすいのです。

でも、あくまで仏は神じゃないのです。

ぼくが思うに、一神教は頭から信じることを求め(強要し?)ます。

しかし、仏教は仏を信じろとは言いません。(多分)

その代わり、自分で考えろと言ってるのです。(多分)

自分で考えて、覚りを得ろと言っているのです。

では、覚りとはなにか?

ブッダが覚ったものは一体なんだったのか?

繰り返しますが(宇宙の?)真理です。

ブッダは間違いなく良い人だったから、教えようとしたに違いありません。

でも、教えることは不可能だということも知っていたのです。

何故かというと、覚ったものを言葉で表せないのです。

これは、もう本人に悟ってもらうしかない。^m^

もちろん沢山のヒントを与えました。

ヒントから覚りを開ければいいのですが、その人のレベルに応じてヒントの出し方を変えなければならない。

タイプ毎に全部を書き出すわけにはいきませんね。

ですから、ブッダは教える人毎に説明を変えざるを得なかったのです。

教えを受けた多くの人がブッダの教えを記録したのです。

それが経典なのです。

ブッダが書かなかった理由は分かりましたね。

・・・・・・・

何か書いていることが拡散してしまいましたが、仏教には神が存在しないことを知ったのは大きな驚きでした。

不思議な宗教ですね。

覚りを得るため、自分の力で考えることを要求します。

ぼくなんか、どうやったってクワイ=ガン・ジン(開眼人)にはなれないけれど、考えること自体は好きなので、仏教には大きな魅力を感じますね。(^^)/


書きたいことはまだあるのですが、とりあえずここまで。