・・・・・・・っということで、「神も仏もあるもんか!」という捨てぜりふのように、神と仏は同列に扱われています。
神はヤハウェでありアッラーであり、Godであり八百万(やおろず)の神であります。
一方、仏様は天国にいるし、お願い事をすれば何か叶えてくれそうです。
仏教も宗教だから、仏もOne of 神sだと思われがちです。
ぼくも、何となくそう思っていました。
ところが全然違うんですね。
仏教で言うところの仏は、れっきとした人間であって、(宇宙の?)真理を覚った人を指すのです。
覚った人の代表格がお釈迦様=ブッダ=ゴータマ・シッタルーダ君なのですね。
悟りのレベルにもいくつか種類があって、最高の覚りを開いたのがブッダな訳。
じゃあ、ブッダは神をどう説明したか?
実は語ることを避けたみたいなんです。
でも、ぶっちゃけた話、彼は無心論者であったようです。
・・・・・・・
前回、神とは、納得して先に進めさせる役割を担っていると書きました。
では、仏教にそのような効能はあるのでしょうか?
ありますよね、お正月に皆さんお賽銭を投げて、お願い事をするでしょう。
ナぁ~ンだ、やっぱり仏も神と同じく、人智を超えた存在なんだ。
だったら、仏=神でイイじゃん。
確かに仏教に神と同じ効用を求めているのは確かです。
それは人間の性(さが)というものでしょう。
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ブッダは紀元前5~6世紀の人です。
仏教が広まるにつれて、様々な解釈(宗派)が生まれ、オリジナルの教えから変容していきました。
これはあらゆる宗教に付き物で、仕方のないことです。
そうして、仏教は多神教的性質を持つようになったのです。
その方が、ぼくら凡人には受け入れやすいのです。
でも、あくまで仏は神じゃないのです。
ぼくが思うに、一神教は頭から信じることを求め(強要し?)ます。
しかし、仏教は仏を信じろとは言いません。(多分)
その代わり、自分で考えろと言ってるのです。(多分)
自分で考えて、覚りを得ろと言っているのです。
では、覚りとはなにか?
ブッダが覚ったものは一体なんだったのか?
繰り返しますが(宇宙の?)真理です。
ブッダは間違いなく良い人だったから、教えようとしたに違いありません。
でも、教えることは不可能だということも知っていたのです。
何故かというと、覚ったものを言葉で表せないのです。
これは、もう本人に悟ってもらうしかない。^m^
もちろん沢山のヒントを与えました。
ヒントから覚りを開ければいいのですが、その人のレベルに応じてヒントの出し方を変えなければならない。
タイプ毎に全部を書き出すわけにはいきませんね。
ですから、ブッダは教える人毎に説明を変えざるを得なかったのです。
教えを受けた多くの人がブッダの教えを記録したのです。
それが経典なのです。
ブッダが書かなかった理由は分かりましたね。
・・・・・・・
何か書いていることが拡散してしまいましたが、仏教には神が存在しないことを知ったのは大きな驚きでした。
不思議な宗教ですね。
覚りを得るため、自分の力で考えることを要求します。
ぼくなんか、どうやったってクワイ=ガン・ジン(開眼人)にはなれないけれど、考えること自体は好きなので、仏教には大きな魅力を感じますね。(^^)/
書きたいことはまだあるのですが、とりあえずここまで。
