・・・・・・・っということで、今回の旅行の目的「宇喜多秀家の終焉の地八丈島」です。
先ずは情報収集に八丈市庁(八丈島歴史民族資料館)へ。
現在改築中で臨時に市庁に設置されています。
奥から爺さんが出てきて、頼みもしないのに説明を始めます。^m^
よほど暇と見える。
こっちも詳しい説明が聞きたいので助かる。

宇喜多秀家が目的だったので、集中的に質問する。
宇喜多の詳細は各自調べてね。(^^)/
岡山城の城主で超大物大名でした。
秀吉に可愛がられ、前田利家の娘(豪姫ね)を娶りました。
関ヶ原の戦いで西軍だったため、八丈島に島流しになったというわけ。

↓罪人だったため、左の粗末な墓標だったけど、それじゃということで、後年ちょっと立派な慰霊塔になったとのこと。(爺さんの説明が役立つ)



カミさんの豪姫は一緒ではなく、息子二人が一緒だったので、現地には親戚が増えました。
流石に宇喜多姓は名乗れず、「浮田」になったそうです。

親類はその後罪を許され、板橋区に大きな土地を明治政府から与えられたそうですが、こんな田舎じゃイヤだと半数は八丈島に戻ったそうです。
もったいない話ですね。
以上、役場の爺さんの話。


↓この場所です。

真ん中に立って周囲の風景を見渡し、秀家の気持ちに思いを馳せます。
↓当時の石垣がかろうじて残っています。

↓島の西海岸に設置された夫婦の像。(豪姫は流されなかったんだけどね。)

この頃は凄まじい豪雨。(TT)

以上が、宇喜多秀家の足跡でした。
彼の資料(古文書など)は一切残っていないそうです。
親類が持っていっちゃったらしい。
墓内の遺骨もあるかどうか不確からしい。