・・・・・・・っということで、何だろう、この期待はずれ感。
ぼくが今回の旅行でいちばん楽しみにしていた大内宿。
会津西街道(別称:下野街道)で、会津と日光を結ぶ街道の宿場です。
鉄道の開通と共に廃れましたが、かつては松平容保だって、会津攻めの官軍だって辿った道です。
期待しない方が無理でしょう。(^^)/

えっ?この何処がいけないの?・・・でしょ?

写真を見る限りは情緒たっぷりなんです。
駐車場から宿場に向かって歩くのですが、何処が宿場か分かりません。
何故なら、裏から宿場を眺めていたからです。
表通りに出た途端、イメージ通りの通りが出現するのです。
まるで映画のセットみたいなものです。
ディズニーランドを裏から眺めても、らしくないのと同じです。

元々は「半農半宿」の宿場だったようです。
戊辰戦争では、攻撃が加えられずそのまま残ったようです。(看板には戦災を受けたと書いてありましたが。)

白川街道や、会津鉄道の開通で時代に取り残されたというのが正しい見方です。

地元の人たちは歴史保存という意識より、電気水道を通して近代化を望んだそうです。(↑以前はアスファルトだったそうです。)
ダム建設により収入が増え、トタン屋根に改築していったそうです。
しかし、バブル期になって、観光地化を進めた結果、年間100万人を超える観光客が訪れるようになり、最盛期は駐車場に入る車列が連なったそうです。(今はスンナリ停められます。)

しかし、原発事故で客足がパタリと途絶え、そしてこのコロナ禍です。
閉めている店も散見されました。
とはいえ、妻籠宿および奈良井宿とは異なり、「張りぼて」の印象が強いのは何故でしょう?
ここに泊まって、のんびり「情緒を楽しみたいという気が起こりません。」
(宿はあります)
屋根だけは藁葺きです。
でも、裏を見ちゃったからなぁ~~~。(^_^ゞ
並んでいるのは土産物屋、蕎麦屋、甘味屋ばかりです。
そこで気付いたのです、妻籠宿や奈良井宿と決定的に異なるところ。
それは【生活感】です。
・・・・・・・
会津からの山道は細くてクネクネ道で、走り易くはありません。
山奥にあって、今でも行きやすくはありません。
歴史保存の難しさを考えさせられました。