大内宿と歴史保存の難しさ | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、何だろう、この期待はずれ感。

ぼくが今回の旅行でいちばん楽しみにしていた大内宿。

会津西街道(別称:下野街道)で、会津と日光を結ぶ街道の宿場です。

鉄道の開通と共に廃れましたが、かつては松平容保だって、会津攻めの官軍だって辿った道です。

期待しない方が無理でしょう。(^^)/


えっ?この何処がいけないの?・・・でしょ?


写真を見る限りは情緒たっぷりなんです。

駐車場から宿場に向かって歩くのですが、何処が宿場か分かりません。

何故なら、裏から宿場を眺めていたからです。

表通りに出た途端、イメージ通りの通りが出現するのです。

まるで映画のセットみたいなものです。

ディズニーランドを裏から眺めても、らしくないのと同じです。


元々は「半農半宿」の宿場だったようです。

戊辰戦争では、攻撃が加えられずそのまま残ったようです。(看板には戦災を受けたと書いてありましたが。)


白川街道や、会津鉄道の開通で時代に取り残されたというのが正しい見方です。


地元の人たちは歴史保存という意識より、電気水道を通して近代化を望んだそうです。(↑以前はアスファルトだったそうです。)

ダム建設により収入が増え、トタン屋根に改築していったそうです。

しかし、バブル期になって、観光地化を進めた結果、年間100万人を超える観光客が訪れるようになり、最盛期は駐車場に入る車列が連なったそうです。(今はスンナリ停められます。)


しかし、原発事故で客足がパタリと途絶え、そしてこのコロナ禍です。

閉めている店も散見されました。

とはいえ、妻籠宿および奈良井宿とは異なり、「張りぼて」の印象が強いのは何故でしょう?

ここに泊まって、のんびり「情緒を楽しみたいという気が起こりません。」
(宿はあります)

屋根だけは藁葺きです。

でも、裏を見ちゃったからなぁ~~~。(^_^ゞ

並んでいるのは土産物屋、蕎麦屋、甘味屋ばかりです。

そこで気付いたのです、妻籠宿や奈良井宿と決定的に異なるところ。

それは【生活感】です。

・・・・・・・

会津からの山道は細くてクネクネ道で、走り易くはありません。

山奥にあって、今でも行きやすくはありません。

歴史保存の難しさを考えさせられました。