・・・・・・・っということで、主語は存在するのか?
ぼくはいまブログを書いている。
アナタはいまぼくの書いたブログを読んでいる。
ここでのぼくとは?アナタとは?
ぼくはぼくで、ぼく以外の何者でもないじゃないか。
では、ぼく(アナタ)とは何か?
ぼくの定義は何か?
ぼくと言う場合、何か不変の存在のように思われるが、昨日のぼくと同じか?
1日歳を取った今日の自分と昨日のぼくが同じであるわけがない。
肉体は常に新陳代謝をして、二十歳のぼくと60歳を過ぎたいまのぼくは、まるで別人と言っていい。
肉体ばかりじゃない、考えかたもぜんぜん違っている。
今朝のぼくはよく寝られて気分が良かったが、今のぼくは目の前を通り過ぎたオヤジが風上で咳をしやがって、とても気分が悪い。
いま、今のぼくと言ったけど、その時と今では厳密には違うぼくである。
何を言っているのか?
ものごとは常に変化するものである。
これはぼくとか生き物とかばかりでなく、物質だって絶えず変化をしている。
例えば富士山という主語だとして、思い浮かべる富士山は人によって様々。
思い付く限りの主語は全て定義が定まっていないことに気付く。
定義が定まっていないものを主語に持ってこられるのか?
要するに万物流転、諸行無常、色即是空なのだ。
これは目に見えて、じっさいに手で触れるものを対象に述べてきたけれど、目に見えないものはもっと定義付けが困難だ。
誠意を見せろ、正義を行え、時間がない、信用が第一だ・・・など、どれも主語に持ってくるには曖昧すぎる。
それに比べたら名詞や代名詞のような主語より、動詞や形容詞などの述語のほうがずっと定義が易しい。
冒頭に書いた「主語は存在するのか」という問いは、こういうことなのである。
・・・・・・・
こういうことを考えていると、「自分の存在」が実に曖昧になって来るのである。
自分と周囲の境界線がだんだんぼやけてきて、自分の存在さえ怪しくなってくる。