人形に恋する男たち | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
一日に数本書いていますので、遡って読んで下さいね。

・・・・・・・っということで、ちょっと前にNHKでCGの少女に恋をして、しまいには結婚式を挙げてしまった男性の特集番組をしていました。 

等身大の人形と生活していて、温泉旅行にも連れ出している姿が放送されていました。 

世の中には、フィギュアマニアがいるのを知っています。 

古い世代だとダッチワイフという存在も知っています。 

ですから、別に驚くに当たらないのですが、会社の同僚や友人までも、そんな彼を受け入れ祝福しているのには驚きました。 

番組を観ながら、ぼくが「コイツ終わってるな」と呟いたら、次女が猛烈に反発したのです。 

「誰にも迷惑をかけている訳じゃない」というのが、次女の理屈の根拠です。 

 同性同士が結婚するのを認める時代です。 

人形と結婚して生活するのも認めようじゃないか。 

だって、誰にも迷惑がかかっていないのだから、という理屈が成り立っても不思議じゃないと考える世の中になったのでしょう。 

ずいぶん、「偏見のない、寛容な時代」になったものですね。 

でもぼくは、それはオカシイと思うのです。 

 ・・・・・・・ 

 実は、これは新しい問題ではないんです。 

「ピグマリオンコンプレックス」といって、狭義には人形偏愛症(人形愛)という症状なのです。 


ピグマリオンとはギリシャ神話に出てくる人物で、自ら彫った女性像に恋をしてしまうのです。 

結局、アフロディティが不憫に思って、像を本物の女性にして、最後には子供までもうけさせてあげるという物語です。 

映画でも【マネキン】とか、【ラースとその彼女】がすぐに浮かび上がるくらいポピュラーなテーマです。 
前者はその題名の通りマネキンに恋をする物語で、スターシップの「愛はとまらない」の主題歌が有名ですね。 

後者は、何とダッチワイフに恋をする青年の物語です。 

映画の中では、やはり周囲の人々の理解があるのですが、現実の世界では「キモい」と思われるはずとの前提で見るから面白いのです。 

しかし、現実の世界でも理解されるというのは、ちょっと行き過ぎ・・・というのが、ぼくの持っている常識です。 

認める人の大部分は、「そのうち目が覚めるさ」「飽きるに決まっている」と、長い目で見てやっているのが真実だと思いたいです。 

子供は誰でも人形遊びするけど、大人になれば飽きるでしょ? 

ぼくのように、真面目にとらえる方がオカシイ? 

いや、本気でこの男に死ぬまで人形と暮らすのが、本人の幸せだと信じているのなら、「偏見のない、寛容な心」とはずいぶん違うんじゃないの? 

実際、この男性が還暦を過ぎても初音ミクの人形を抱いている姿は想像できません。 

しかし本人が、本来なら生身の女性と巡り会うタイミングを、この人形のために逃しているなら問題でしょう。 

なぜ生身の女性より人形のほうを愛すのかを、ちょっと考えてみましょう。 

 ・・・・・・・ 

それは、人形がなにも与えてくれないからこそ愛するのだということに、すぐ気付くはずです。 

現実の女性は可愛いところも多少はありますが、実態は悩みの製造マシーンなのです。 

 何故なら、女性は「現実的な生き物」だからです。 

男と違って、女性は現実ばかり押し付けてくる。 

女性は現実の世界に生きているからです。 

ピグマリオンコンプレックスにかかるのは、男ばかりなのがその証拠です。 

 男は空想の世界に生きたがる生き物なのです。 

女性は、空想の世界に早々と見切りをつける。 

それが大人というものです。 

空想に見切りをつけられないのは、大人とは言えません。 

・・・・・・・ 

人形と結婚する彼を認める人たちは、「偏見のない、寛容な心」を装っているだけです。 

もっと言えば、そういう寛大な自分に酔っているだけです。 

ぼくにはそう見える。 

欺瞞です。

実は、残酷で意地悪な仕打ちを彼にしているのです。 

それは、彼にいつまでも大人になるなと要求しているに等しいからです。 

それとも、あなたたちには人形を生身の女性に変える力があるのですか?

(^ω^)