・・・・・・・っということで、大昔の日本、例えば縄文人と現代人と比べたとき、「心」はどう変わったのか?あるいは全然変わっていないのか?興味深いテーマですね。
縄文時代は文字を持っていなかったので、推測が非常に難しい。
でも、推理することは出来ますね。
何を手がかりに?
集落跡、住居跡、道具、器、食べ物の痕跡・・・それらから、思いっきり想像の羽を広げて、推理するんですね。
そこで必ず突き当たるのが「祈り」です。
これだけは確実に言えることは、その重要性です。
現代人も祈りますが、その比重は比べものにならないでしょう。
厳しい自然の中で、身を寄せ合って生きる世界です。
この辺の事情をどう我が身のものとして想像できるか?その人の感受性がものをいいます。
そういう感受性が弱い人は、考古学者に向いていないと断言できるでしょう。(^_^)ノ
自然は圧倒的に人類を支配しますが、時に恵みをもたらします。
神という具体的なイメージを持たなくとも、自然を畏怖する気持ちが生じ、祈らざるを得なくなるでしょう。
狩猟採集文化を持つ縄文人たちは、現代人が想像もつかない「結束力」を持っていたはずです。
現代人はすぐキレます。
キレることは、結束力にダメージを与えます。
縄文人は結束力が薄れると、自己ばかりでなく、集団の破滅をも意味します。
縄文時代は1万年も続いたそうです。
それだけ人と人との繋がりが強かった証拠でしょう。
めったにキレない縄文人。
したがって、平和な心を持った縄文人がイメージ出来ます。
同じ時代、お隣の中国では争いが絶えなかった。
そういう意味で、中国では心の変化は少ないかも知れない。
同じ視線で縄文人を見たら、間違うのではないでしょうか。
縄文時代は案外ユートピアだったのかもよ。(^^)/