・・・・・・・っということで、「キリスト教は祖先を大事にしない」と、あるTV番組のゲストが常識のような口調で発言していて、えっ!?と思いました。
もちろん、「仏教や神道と比べて」がベースです。
調べてみると、確かにそういう認識があることは事実のようです。
「祖先崇拝」といわれるもので、死者であるはずの祖先の影響を現世の人が受けるという、ぼくら日本人には自然な考え方です。
先祖に顔向けできないとか、家の恥だとか口にしますよね。
キリスト教だって、死者を墓に手厚く埋葬しますが、◯◯家の墓ではなく、あくまで個人の墓ですよね。
ですから、先祖代々の墓を守るということはしませんよね。
間違っていたら、ゴメンなさい。
だからといって、キリスト教は先祖を大事にしないというのは言い過ぎでしょう。
何故そんなことが言われるか?
一神教と多神教、遊牧民と農耕民族の違いにあると指摘する人が多いようです。
先祖が後世に影響を及ぼしては、先祖が神と同列、あるいは上位にいることになり、一神教では認められないことです。
遊牧民は一定の場所に留まらず、農耕民のように先祖代々受け継がれる土地という固定資産がないから、個人主義に傾きやすいのは理解しやすいですね。
日本のある教授は、キリスト教は神→人間→自然という順番ですが、仏教は自然→神→人間という順位だと分析しています。
こういう点でも、日本のような祖先を大事にする多神教の中に、キリスト教が入ってくるのは相当の難しさがあると想像できます。
しかし、日本のキリスト教徒は祖先をとても大事にするはずです。
お盆には先祖の墓参りをし、精霊流しにもあまり抵抗なく参加するはずです。
ある意味いい加減ですが、おおらかで柔軟性があるとも言えますよね。
純粋なキリスト教信者(原理主義者)は怒り狂うと思いますが、ぼくはこういう日本の緩さが大好きなんです。
物事に白黒付けない、こちらが善であちらが悪だと決めつけない、明暗の対比より濃淡を好む。
ぼく自身は狩猟も農耕もしたことがないけれど、先祖代々の血が影響していることは間違いないですよね。(^ω^)