・・・・・・・っということで、以前の新聞は威厳を持っていた。
各社毎に多少の色の違いはあるものの、浮遊し勝ちな世論をしっかり繋ぎ止めるアンカー(錨)のような役目を果たしていた。
少なくとも、新聞各社はそういった矜持を持っていたはずである。
ところが、今はインターネットに圧され、講読者は減る一方。
取材費もままならない状況ではないかと思う。
じゃあ、TVがその役割を引き継いでいるかと思えば、少し前のことを思い出していただきたい。
TVで臆面もなく、新聞各社の新聞を広げて比較していたではないか。
流石に最近は見かけなくなくなったが、TVはそんな体たらくなのである。
引き継ぐどころか、視聴率という呪縛から永遠に逃れられないのである。
アンカーが無くなったら、浮遊するしかないのである。
いまは「浮遊する世論」の時代なのである。
さて、自然の流れとして、「キワモノ的」なニュースがはびこるようになる。
その題材を提供しているのが、【週刊誌】ではないだろうか。
ボロを出しそうなターゲットに狙いを付け、あるいはタレコミを元に取材を集中させる。
実に効率的な、経費節減の手法である。
いかにも綿密な取材のような装いをしているのが、その特徴である。
一発打ち上げれば、あとは素人のSNSが拡散してくれる。
これが現代における「世論の構造」である。
・・・・・・・
すると、国民全体が「週刊誌的」な思考回路に染まっていくのである。
当然の結果として、政治家も週刊誌的な手法を取るようになる。
今回の総理大臣主催の「桜を見る会」のゴタゴタである。
立憲ナントカ党の誰やらが、徹底的に追求すると息巻いているのを見て、体の力が抜けてヘナヘナとなってしまうぼくは変なのだろうか?
確かに安部君には、権力者に付き物の「オゴリ」がみられる。
大いに反省すべきである。
それと同時に野党の「ヤッカミ」が透けて見える。
悔しかったら政権を取って奢ってみろよ!と言いたくなる。
こんなツマラない「週刊誌的」なことでエネルギーを使うなよ!!
もっと大事なことがあるだろう。
イージス・アショアーに6,000億円も使おうとしていることに、マッタをかけろよ。
首里城の再建にいくら掛かるか分からない段階で、早々とコミットするなよ!!
大変な状況なのは沖縄県だけじゃないだろう。
国民が週刊誌的になるのは仕方ないとして、政治家も追従するとは情けないゾ。
政治家の矜持はどこへ行ったのか。
以上、典型的なジジイの憤懣表明でした。(^_^ゞ