多賀城(2) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、多賀城は日本100名城のひとつですが、いわゆる「城」をイメージすると、間違えます。

ガイドに、天守閣はどこですか?と聞く人がいるとか。

724年創建ですから、平城京の時代です。

城ではなく「国府」ですので、国の出先ということになります。

律令制度を確立するため、先住民たちを組み入れる目的です。

ですから、役所の目的と同時に軍隊の「駐屯地」の性格が強いのです。

ガイドのオジサンの説明によると、東海道の東の終点は多賀城だったとのこと。

立地的には塩釜港と仙台を結ぶ街道の中間に位置しており、交通の要衝です。




↓南門跡。

この先(南方向)は太平洋で、地震のときはちょっと先まで川を波が遡って来たそうです。


北を向くと政庁跡です。↓


↓政庁跡です。


ちょっと小高いところにあり、南向くと先程の南門跡が見えます。↓


南門脇には、碑が立っていて、724年に創建して762年に藤原某が改修したぜと彫られています。↓


江戸時代になるまで打ち捨てられていましたが、この碑がここに国府があった動かぬ証拠となって、芭蕉がわざわざ見に来て感動したとか。


ガイドのオジサン(今年80歳だからおじいさんか)が自分の車であちこち回り、懇切丁寧に説明してくれました。

先日まで菖蒲祭りがあって、たくさんの人が訪れたとか。


↓土盛りがありますが、外郭の塀があったところです。


中身の濃い説明を受け、とても勉強になりました。

最後は東北歴史博物館まで送り届けてくれ、閉館まで1時間ゆっくり見学できました。

↓第二期改修時のジオラマで、一番充実していた頃の姿です。


このあと780年の蝦夷による暴動で焼け落ちました。

再建されたものの、今度は869年の大地震で被害を受けました。

その後、11世紀前半まで存続したそうです。

東北というと平泉が有名ですが、多賀城がこれほど栄えていたことは知られていませんね。

2024年には創建1300年祭を大々的に行う計画で、それまでにはもっと復元された姿を現すようです。

以前から気になっていた「蝦夷」について興味が湧いてきました。

東北歴史博物館には多少説明がありましたが、近々蝦夷の特別展を開催するそうです。