トイレの哲学シリーズ(7) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、悪魔の存在を信じる人もいるでしょうが、独立した一個の実体とするよりも、自分の心の中にあるものと考えるべきでしょう。

心の中に悪魔がいるなら天使だっていて欲しいですよね。

心の葛藤を経験しますが、善なる心と悪なる心が同居している証拠でしょう。

人間の本質は善なのでしょうか?

生まれながらに、嘘をつくと心が咎めますよね。

普通なら、人のものを盗んで平気でいられないですよね。

これをもって、人間の本質は善だ(性善説)と断定して良いものでしょうか?

ぼくもそう信じたいですが、ちょっと違うんじゃないかというのが今日の話です。

人間は社会的な動物です。

動物も群れや家族単位で生活するものが数多くいますが、人間の場合、社会がヴァーチャルであるところが異なります。

動物の群れは本能で結びついています。

人間の場合は本能的な部分は少なく、頭で繋がる部分がほとんどです。

だからヴァーチャル社会なんですが、その社会を維持するためには沢山のルールが必要になってきます。

すると、社会にとって何が善であるか、何が悪であるかのルールが不可欠となるはずです。

人を勝手に殺すことを許したら、社会は成り立たないでしょ?

ということは、ある社会では善なことが他の社会では悪になることが起きても不思議じゃない。

昔のモンゴル社会では、気に入った女性を略奪して妻にしても良かった。

ヴァイキングは略奪こそが正義だった。

力が強い者が正義の社会なら、それが善として成り立った。

すると、人間は生まれながらに善の性質を持つというより、人間が属する社会によって後天的に決まるのではないでしょうか。

これはなかなか辛い考えかたで、考えた自分でも受け入れ難いです。(^^ゞ