トイレの哲学シリーズ(6) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、同性愛は罪であるか?という問題。

現代ではさらに進んで、同性同士の結婚を認めるべきだとの動きが優勢です。

罪であるか否か、何を基準に判断すれば良いのでしょう?

どうも、法律で判断するのが主流のようです。

それは、同性婚を認めるとなると、夫婦としての法的権利が生じてくるからでしょう。

だけれども、同性愛そのものが罪であるか、善悪の判断は裁判所では示していません。

法律の基礎となっているのは何が善であり、何が悪かを明確化することでしょう。

その善悪の判断の基準になるのが道徳でしょう。

道徳は、人間が生まれながらにして持っているものとされています。

例えば殺人、盗み、人を騙すなんかは明らかに悪です。

しかし、同性愛は悪なのでしょうか?

道徳の基準になるものが宗教でしょう。

欧米はキリスト教的道徳観が主流です。

法律はキリスト教の道徳観で成り立っています。

大統領の就任時も、裁判での宣誓でも聖書に手を置くのはそのためです。

すると、同性愛の善悪を最終的に判断をするのは、宗教の範疇ということになります。

・・・・・・・

イスラム教では同性愛は悪だと見なされるのが主流です。

国によっては死刑が適用されます。

それが法律だからです。

歴史的に見れば、イスラム教は同性愛に対して寛容だったはずですが。

では、キリスト教では、どうでしょう?

残念なことに(?)明確には書かれていません。

旧約聖書に、結婚は男女に限ると書かれてはいるそうです。

キリスト教の宗派によっても大きく判断が異なるようです。

ぼくは無宗教を代表しているわけではありませんが、迷惑が掛かるワケじゃないから勝手にしろです。

ただ、ぼくの道徳観に基づく正直なところを言えば、嫌悪感を持ちます。

同性婚については、裁判所が同性愛に対して明確に善悪の判断が示せない以上、反対の立場です。

・・・・・・・

さて、長々と書きましたが、言いたかったのは「善には多様性がある」ということです。

単純な話のようで、実はとても難しい話です。

人は、善は唯一のもので、全世界共通のものであると思い込んでいます。

立場の違う善があることがなかなか認められません。

多様性を認めると言うのは簡単、実行するのはこれほど難しいことはありません。

今回は、その一つの例として、同性愛を考えてみました。