ぼくの教育論(8) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、内村鑑三が西洋人から、日本の学校ではどういうクラス分けをしているかと聞かれたそうです。

内村は、俺たちは羊の群れじゃないと怒ったとのこと。

分かるなぁ~彼の気持ち。

これについてはちょっと説明が必要ですね。


江戸時代まで、日本では寺子屋あるいは藩の学校、そして身分の高い人はマンツーマンの教育でした。

明治に入って富国強兵、あるいは西洋の影響があって、義務教育化されました。

いまの学校と同じく、年齢ごとにクラス分けがされました。

年齢で分けるのは合理的で、平等にさえ見えます。

内村鑑三が何故怒ったか。

それは、江戸時代まで続いてきた日本の教育法のどこが悪いのかと言いたかったのです。

江戸時代から明治維新にかけて、外国と渡り合ったのですが、人物的に日本人は全く見劣りがしなかった。

いまの政治家より優れていたとさえ言えます。

これに対して、西洋式の教育は年齢を基準にして、機械的にクラス分けをします。

内村は、生徒たちは(個性の無い)羊じゃねえぞと怒ったのです。


生徒にはそれぞれ個性があります。

もちろん能力の差もありますが、それ以上に、その生徒に合った教育法があるはずです。

理想としてはマンツーマン教育が理想ですが、寺子屋方式はとても優れた教育方法なのです。

先生の下に子供たちが集まってきます。

大人さえ参加自由です。

先生はそれぞれ課題を分けて勉強の進捗状態を見守ります。

生徒の資質に応じた柔軟な教育が出来るでしょう。

それじゃ生徒の数に対して先生の数が足らないって?

生徒の中で優秀な子供は、時には塾頭として教えることもあるでしょう。

先生はそういう優秀な生徒を競わせます。


吉田松陰の松下村塾はまさにそういう教育形態で、その教育効果が抜群だったことは皆が認めている事実でしょう。

この日本独自の教育システムを放棄してしまったのは、如何にももったいない。


いまの学校教育を寺子屋方式に戻せとは言いません。

しかし、行き詰った日本の教育を見直すために、寺子屋方式を本気で見直す価値はあるはずです。

だって、子供たちは羊の群れじゃないんですから。