【ローマ人の物語XIV キリストの勝利】 | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

【ローマ人の物語XIV キリストの勝利】
塩野七海著
新潮社刊
2005年12月30日発行

久しぶりのローマ人の物語である。
第1巻から読み始め、11巻まで読んだところで、ずっと中断していた。
理由は簡単、定価が高いのだ。
12巻と13巻を飛ばしたのは、偶然BookOffで14巻を見つけたからだ。
半額の1,200円。定価は何と2,730円だ。

それともう一つ読まなくなった理由がある。
それは塩野七海の語り口が、ちょっと鼻についてきたからだ。
大きな声では言えないが、同意される人も多いのでは?
ローマ人への思い入れがあまりに強すぎるからだ。
毎年1巻ずつ、15年の大作である。
飽きさせずに最後まで引っ張るのは、至難の業だ。

ああ、それともう一つ。
ローマ史自体が面白くなくなってきたことだ。
衰亡に近くなって、発展時期にあった痛快さがなくなってきたからだ。
こればかりは、塩野さんの責任ではない。

でも、歴史から得られる本当の教訓は、衰亡していく過程にあるとも言える。
ローマ人にとっては面白くない時期でも、研究する側には興味津々である。
塩野さんは最初に「衰亡する原因は、発展してきた要因そのものに内在する。それを証明してみたい。」というようなことを書いていたと記憶する。
私は読みながら、ずっとそれが念頭にあった。
大団円に近づくにつれ、上手く証明できているのだろうか。

次の15巻で最終を迎えるようだが、西ローマが滅んだところで終わるようだ。
塩野さんには、東ローマ帝国はもうローマではないようだ。
彼女にとっては、キリスト教のローマは書くに値しないのである。
衰亡する要因を上手く証明されたかは別として、彼女の大好きなローマに止めを刺したのは、キリスト教というわけだ。

コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認したのは、ローマ皇帝の地位を保つ理由を神に求めたからである。
それまで、暗殺やクーデターによって非常に不安定になってしまった皇帝の地位の保全に、誰にも文句が言えない神を引っ張りだしたという説は、私にとって目からウロコであった。
それから先、司教が皇帝から権力を奪っていくさまは、まるで堤防の決壊を見るようだ。

ローマ人が持っていた最大の美徳は「柔軟性と寛容」であった。それが敵を同化する力となり、あれだけの大帝国を作り上げ、維持できた大きな理由であったとするのは、大いに賛成できる。
他の宗教を完全に否定する一神教のキリスト教が、その正反対に位置することも全く同感である。
硬直化したローマは、もはやローマではない。それも分かる。
だが、それがローマを滅亡させた理由なのかというと、ちょっと賛成しかねる。

私は、やはり人材の欠乏にあったように思う。
ユリアヌス帝が、最後の希望の星であったが、やはり力量不足であった。
もし、ユリアヌス帝がカエサルほどの力量を持っていたら、ローマを立て直すのも不可能ではなかったような気がする。皇帝の力はまだ絶大であったのだから。

ちょっと否定的な書き方になってしまったが、私は彼女の大ファンである。
彼女の本によって、歴史の面白さを知ったし、西欧人の常識としてのローマ史を理解することができた。

彼女の書く本は歴史ではなく、小説だという人がある。
ローマ人の物語も、作家の棚にある書店と、歴史の棚にある書店とまちまちである。
女性特有の嗜好が前面に出過ぎていることが原因だろうが、原文で彼女ほど丹念に読んでいる歴史の先生が、どれ程いるだろうか。
完全に客観的で中立の歴史など書けないことは、もう皆知っているだろう。
わたしは、彼女の書く本は堂々とした歴史書であると思う。
彼女の努力と情熱に対して、心から敬意を表したい。