【イラク戦争と占領】
酒井啓子著
岩波新書
2004年1月20日刊
イラクは私にとって特別な国だ。
若い頃に仕事で2年近く滞在したことがあるからだ。
その後、色々な国に行ったが、この国だけは二度と行きたくない。
すでにイラクにいたときから、そう思っていた。
普通なら、どんな苦しいことも、嫌なことも、年数が経てば懐かしい思い出として、昔の場所を再度訪問してみたいと思うはずだ。
だが、この国だけはイヤだ。
アラブという文化圏は日本人の心情とは全く正反対の世界だと思う。
要するに、ウェットな感情が全く無いのだ。
例えば、現地人のオフィスボーイを前任者を加えて4年間使っていたのだが、最後は盗みを見つけクビにした。そのときの悪態のつき方は尋常ではなかった。
「日本人は草履の裏と同じだ。」と足を踏み鳴らし、地面に唾を吐いたのだ。
あんなに可愛がってやったのに。
まあ、これはほんの一例で、仕事上でもとんでもない仕打ちをされたものだ。
だが、一方でこんな経験もある。
日本人の作業員が目に異常を訴え、病院に連れて行ったときだ。
患者が長蛇の列を作っていたのだ。
どうみても、1時間以上は待たなくてはならない。
そうすると、外国人だと分かると、並んでいた全員が私たちに順番を譲って、一番前にしてくれたのだ。
(鉄粉が刺さったらしく、放って置けば失明の危機もあったことが後で分かったのだが。)
こういった経験はいくつもした。
この相反する行動をどう解釈すればよいのか。
アラブ人の本質を上手く表現した言葉に:
「アラブの民は砂漠の砂だ。
少しでも握る力を緩めたら、指の間からサラサラ流れ落ちてしまう。」
これほど適切な表現はないと、今も信じている。
サダムの功罪については色々な評価があるだろう。
だが、彼はイラクの人民を握る握力だけはあったことは確かだ。
彼の裁判を見ていて、それが良く分かったはずだ。
実に堂々と自分の主張を述べていた。
なぜアメリカは彼を上手く利用できなかったのだろうか。
イラクをまとめるだけの握力を持った、代案の人物を持たずに引きずり下ろしてしまうとは。
さて、本書である。
3年も前の本だが、その時点と状況は全く変わっていない。
かえって複雑化する前なので、物の本質が整理しやすい。
いまなら、余計な情報が邪魔をして、本質を見えにくくしてしまう。
本は新しければ良いってもんじゃない。
著者はイラク政治研究が専門だ。
こういうときこそ、専門の学者は発言すべきだ。
俄か評論家とか、ジャーナリストが勝手なことを言っているが、学者としてきちっと今までの研究成果を元に発言すべきだ。
情報が揺れ動いているときに発言するのは、学者として勇気がいることは分かる。
しかし、そのようなリスクを恐れず、今までの知識を元に早い段階で発言すべきだ。そうしなければ何のために研究してきたのか。
評価が固まった後で、専門家が分析するケースがいかに多いことか。
そういう意味で、治安の悪い時期にイラクに入国して、このような本にまとめた勇気は立派だと思う。
ちょっとこのテーマは長くなりそうなので、一旦ここで区切ることにする。
.....to be continued.