コンクリート製で何十年もそこにあった。
長い年月が経っていたので、コンクリートにもかかわらず、滑る部分は磨り減って、ツルツルになっていた。
カミさんも子供のときに滑った象の滑り台。
その滑り台に、ぼくらの長女が滑った。
最初は怖がって、足がすくんでいた。
ぼくも滑った。
手本を見せたし、長女を膝に乗せても滑った。
何度も何度も滑った。
そのうち、長女は一人で滑れるようになった。
放っておいても一人で滑った。
まだオムツがとれていない時期なのに。
日暮れになっても滑っていた。
暗くなっても止めようとしなかった。
次女も滑った。
二人でキャーキャー言いながら滑った。
足先からじゃ満足できず、頭からも滑った。
近所の子供たちはみんな滑った。
滑って滑って、コンクリート製の象の滑り台はテカテカになった。
ジジババたちは、かつては自分が滑った象の滑り台を孫たちが滑る姿を目を細めて見守った。
なのに、撤去された。
どこに問題があったのだろうか?
同じ場所にはプラスティック製の、如何にも安っぽい滑り台が代わりに据えられた。
カラフルだけど、コンクリートの堂々たる雰囲気には遠く及ばない。
あの頃の象の滑り台には風格があった。
子供たちが多少悪さをしてもびくともしなかった。
固い肌触りだったけど、暖かみがあった。
なん世代に渡って、子供たちを見守ってきた風格があった。
・・・・・・・
子供が怪我をしちゃいけないという、過保護なバカどものために、公園からたくさんの遊具が消えていった。
鉄棒からまっ逆さまに頭から落ちた。
ブランコの鎖に、シーソーの隙間に指を挟まれて何度も血を流した。
ジャングルジムで足を滑らし、頭を強打した。
ぼくらは身をもって危険がどこに潜むか、遊具で学んだ。
ぼくには分からない、あの象の滑り台のどこに問題があったのだろうか?