・・・・・・・っということで、次に「電脳」というテーマに続こう考えていたのですが、飛ばして結論にいきます。
ぼくの(今のところの)結論は、【自分とは、脳が作り上げたバーチャルなものに過ぎない】です。
自分なんてイルージョン、実態のないものです。
だから、自分探ししても見つからないのです。
自分を定義しようとしても出来ないでしょ?
それは絶えず変化するからです。
怒る自分と沈着冷静な自分がありますが、どちらが自分ですか?
どちらも自分ですね。
自分なんてデタラメなのです。
定義できっこないじゃないですか。
それより、あることを考えたり、判断したり、感動したり、悲しんだりする自分の後ろに誰かの存在を感じませんか?
自分というものがあるとすれば、それが自分じゃないですか?
状況によって絶えず変化する自分の裏にいるもう一人の自分。
・・・えっ?そんなもの感じたことないって?
ホント?
・・・・・・・
仏教の行の一つに座禅があります。
道元はこう言っています。
仏道をならうというは、自己をならうなり。
自己をならうというは、自己をわするるなり。
自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
(正法眼蔵より)
超有名な言葉ですが、自分探しは自分を捨て去ることだと言っていませんか?
自分なんてものは言葉にすぎません。
脳が便宜的に作り上げた実態のない、従って、これが自分だなんてものはありません。
じゃあ、自分というバーチャルなものは何なのだ?
「無」です。
仏陀がそう言っています。
名付けようがないのです。
ありゃ!仏教の話になってきたぞ・・・と感じるでしょ?
しゃぁーないけど、自分とはを考えると、そうなっちゃうんです。
・・・・・・・
自分とはバーチャルなものだと分かると気が楽になりませんか?
じゃあ、何で人間は「自分」というバーチャルなものを作る必要があるんでしょうか?
それは、人間だからなのです。
人間は人間社会の中で生きていくには、「自分」というものが(とりあえず?)必要だからなのです。
動物を考えてみてください。
動物が自分という概念を持っているはずがありません。
何故なら、彼らは言葉を持っていないからです。
ですから、動物たちは気楽に生きているのです。
人間だけが自分探しなんて馬鹿げたことをするのです。
以上、このシリーズ終わり。
自分で言うのもナンですが、結構ディープなところまで到達していると思いますよ。(^^)/