【たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。
かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆゑに不滅といふ。
生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。】
『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中の、(超)有名な言葉だそうです。
これを前後際断(ぜんごさいだん)というのだそうです。
難しいね。
道元といえば、曹洞宗。
曹洞宗といえば、永平寺。
永平寺に行く前は、こんなことも知らずにノコノコと出掛けていったのですね。
恥ずかしい。
旅行の意味は、文字などの情報を頭の中でより具現化出来ることでしょう。
「芋づる式」に次から次に興味が湧いてきます。
ですから、ぼくのように知らないで行くことも大切なのです。
この道元の言葉も、永平寺に行くと行かないでは全然感じ方が違う。
だからといって、彼の教えがスラスラ分かるっていう意味じゃないですよ。
難しくて分からんことには何ら変わりない。(;^_^A
オット、長くなったのでこのあとは・・・つづく。