お寺ですから、本業の葬式がしめやかに執り行われていて、僧侶が唱える念仏が聞こえてきます。
結構壮大な葬式で、参列者がとても多く、駐車するのに手間取ってしまいました。
流れとして、父親の葬儀を思い出してしまいました。
参列したのは母、姉、カミさん、娘二人、そしてぼくのたった6人だけでした。
寂しいといえば寂しい葬式でした。
特に大きな式場しか空いてなかったので、何とも閑散とした印象でした。
父の兄弟は関東に住んでいたので、参列の意思を伝えてきましたが、全部断りました。
生前は陸軍士官学校の同期生、自衛隊関係者、大学関係者、特に教育畑でしたので、部下や教え子の数は数えきれず、たぶん参列者は数百人に達したはずです。
でも、全て葬儀が終わってから通知しました。
特にそういう葬儀にしてくれと遺言があったわけではありません。
しかし、常日ごろ父は、ずっとあとから「えっ?あの人亡くなっていたの?」と、自然に伝わるような死にかたをしたいと言っていました。
なんたって、90歳にあと6日というまで長生きしたのですから。
同期生の殆どが亡くなっていていますし、職を離れてから30年以上も経っていますので、逆に迷惑と思う人もいるでしょう。
当初、ぼくは父に悪いことをしたかなと思っていたのですが、実際に近親者だけで行った葬儀が終わって、とても良い葬式だったなと感じました。
カミさんの父親は退職後、わりと早く亡くなり、学校の校長先生であったこともあって、参列者は膨大な数になりました。
葬式を取り仕切ったぼくはホントーに大変でしたが、それはそれ、賑やかな葬式にも良さがあります。
皮肉なことに、両家、正反対の葬儀を経験したことになります。
少なくとも真実は、自分の葬式に何人参加してくれようが、死んだ本人には分からないことです。
いくら惜しい人を亡くしたと多くの人が悼もうとも、逆にそんな人生きてたっけ?とその人の死を何とも思われなくとも、死んだ本人には関係のないことです。
生きているうちが華なのです。
葬式って何なのでしょうね。