・・・・・・・っということで、悟りについて。
悟りを開くために、想像を絶する苦行を膨大な時間をかけて行う。
多くの修行僧がチャレンジするけれど、悟りを開く者は稀である。
首尾よく悟りを開いても、それを説明する言葉が無いらしい。
しいて一言で表すと【色即是空】となるらしい。
言われたってサッパリ分からない。
分からないなら、分かりやすく説明した【般若心経】を読めという。
悟った高僧と、悟りかけている僧との対話録なのだが、読んでも分からない。
分からなくても良いから「写経」しろという。
写経を続けていると、そのうちになぁ~~~んとなく分かるようになるという。
しかし、殆どの凡人には悟りを開くことは無理である。
そこで考える。
悟りを開いたって死ぬ。
開かなくたって死ぬ。
同じ死ぬなら、悟りを開こうが開くまいが同じじゃないかとなる。
だから、悟りを開きたい人は勝手に努力して頂戴。
ぼくらは托鉢するから、そういう努力する人、即ち僧に任せます。
僧を拝むことにより、悟りの分け前を頂戴する。
平たく言えば、仏教はこのような仕組みで出来ている。
そうはいっても、悟りとはどのような境地なのか、知りたくて知りたくて。
悟った先にあるものも考えず、
ただただ麻薬を欲しがるように。