三方を急峻な崖に囲まれ、南の平坦な箇所は空堀が掘られています。
頂上はかなり広い平坦な台地になっています。
さらに本丸の周囲には中堀&内堀がめぐらされています。
この城の地理的な意味は、西から甲府盆地に至る三つの要路(木曽川に沿う中山道、天竜川沿いの街道、富士川沿いの道)のうち、天竜川ルートを押さえる要地なのです。
武田氏の勢力に取り込まれたあと、1582年に織田軍3万に攻められ、迎え撃つ信玄の五男盛信2千は壮絶な最後を遂げました。(高遠城の戦い)
武田は様々な城を甲府盆地周辺に築いていましたが、本格的に抗戦したのはこの高遠城だけだったそうです。
武田勝頼の最後を以前辿りましたが、思い出す度に可愛そうになりますね。


