・・・・・・・っということで、自己責任は成り立つかという話。
あるジャーナリストは政府が止めるにもかかわらず、取材しに危険地帯に入った。
なぜならば、命に代えても取材のほうが価値があると判断したからだ。
自己責任だから、死んでも文句を言わないし、捕まっても助けに来るなという宣言になる。
ハテ?人間はこの世で生きる以上、どこかの「国民」でなければならない。
国民である以上、国家はその生命を守る義務がある。
行くなと止めたからといって、国家は放ってよい訳ではない。
在外日本大使館、領事館は邦人を守るのが仕事といっていい。
だとしたら、「自己責任」は成り立たないではないか。
もし、ジャーナリストがあくまで自己責任を主張するなら、なんでオレを助けたのか。
余計なことをせず、放っておいてくれればよかったんだと、記者会見で言うべきである。
なのに、彼は謝罪と感謝の言葉を口にしたのと同時に、自己責任だと認めた。
これって、矛盾じゃないか。
一方、彼の行動を非難する側のロジックも変だ。
自己責任(=国民の権利放棄)だから助ける必要はなかったという主張である。
自分が身代金を払うか、自力で脱出するか、死ねと要求していることになる。
しかし、死ぬことは責任を全うすることであろうか?
責任とは、生きることでしか取れないのではないか?
取材した内容が、命より大事であることを証明することこそ責任を取るということではないか?
自己責任を要求するなら、その証明を求めるべきではないか?
ジャーナリスト側も、それを証明してこそ責任を取ったことになるのではないか?
誰だって生きているからには全てが自己責任である。
この問題を少しでも考えた人なら、「ナンだよ、オレだって毎日自己責任で生きてるゼ」との考えに至るだろう。
ならば、責任ということを口にするなら、「生きている」ことが大前提ではないか。
以上、自己責任って軽々しく口にすべき言葉でないことは分かっていただけたでしょうか?
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