・・・・・・・っということで、哲学、フィロソフィーって【智を愛する】という意味だとはこのブログで書きました。
でも、これじゃあまりにも漠然としていて分かりませんよね。
NHKでよく取り上げていた米国ハーバード大学の教授であるマイケル・サンデルの【白熱教室】という番組、彼は哲学は現実に応用できる学問だと主張していますね。
要するに哲学は役に立つ学問だといいたいのです。
それを実際に見せるために、生徒たちに現在問題になっているテーマについて疑問を投げかけ、考えさせる手法と取ります。
議論が白熱して拡散しそうになると、彼が更なる課題を示してより深く考えさせます。
結論めいたヒントは与えますが、決して結論を出しません。
そうやって、哲学は実際役立つものだということに気付かせるのです。
即ち、考察の連鎖によって、真実とは何かに迫るのが哲学だという訳です。
しかし、これでもぼくにはよく理解できません。
もう少し簡単に哲学とは何かを知ることが出来ないかを考えます。
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先ず、哲学という言葉が壁を作っているように思えます。
なんか、高尚な学問のような印象を与えます。
眉間にシワを寄せて、役に立たないものを考えているってイメージですよね。
例えば、生とは何かとか、正義とは何かなんていくら考えたって、結論が出るような気がしませんよね。
ぼくも死についてずいぶん考えましたが、そう思います。(^^ゞ
哲学者と称する連中の、見下ろすような態度も大きな問題だと思いますね。
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しかし、「哲学的に考える」ということはとても重要なことだと思うんです。
いったい哲学的に考えるとはどういうことでしょうか。
ぼくは「常識を疑う」ということじゃないかと考えます。
世の中には様々な常識がありますが、何でもかんでも喰らい付けばいいってなもんじゃありません。
喰らい付くテーマを選ぶセンスが大事なんです。
即ち、どういう疑問を持つかが哲学的な考え方のコツなんだと思いますよ。
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サンデル教授が好きな「正義とは」なんてテーマ、難しすぎますよね。^m^
いきなりそんな難しいことを考える前に、もっと易しい(?)テーマを選んで、それについて哲学する訓練をするのが重要じゃないでしょうか。
例えば?
・・・・エラそうなことを言っていたのに、急に良い例が浮かばないなぁ~。(^^ゞ
そうね、友達ってナンだろう?と考えたとします。
一緒にいて楽しい、なんとなくウマが合う他人のことじゃ哲学的な考え方とはいえません。
一緒にいて何故楽しいのか?
何故ウマが合うのか?・・・と考え出したら、それは哲学的思考のコツを掴めているといえるでしょう。
さらに、一緒にいて楽しくなきゃ友達とはいえないのか?
両者がウマが合わなければ友達じゃないのか?
一方通行の友情じゃ友達ではないのか。
世の中には喧嘩友達という言葉もあるではないか。
そもそも友情という感情はどこから生じるのか?
誰だって友達が欲しいと思っているが、なぜなのか?
友達のいない人生は本当に寂しいものなのか?
友情は裏切られたり、友情を保つために神経を使うではないか。
だったら、友情なんて幻想に過ぎず、無くたって困らないじゃないか。
友情友情というけれど、本当の友情って何だろう?
・・・・・・どうです?
単なる例として友情を挙げましたが、夫婦って何だろうとか、会社って、学校って、勉強って、労働って・・・・・っと、いくらでもテーマが見つかります。
ぼくらが生活していくうえで、普通に夫婦だし、会社で働いているし、学校で勉強してるけれど、いったい誰がそうしろと命じたのか?
生まれてから現在までそれに疑問を持つことなく、流れで生きてきたんじゃないですか?
ふと流れの中で立ち止まって、本当にこれでいいことかを「哲学的に」考えることは意味のあることじゃないでしょうか。
それって生きる意味を考えることですよね。
生きる意味を考えることが無駄であるはずが無いじゃないですか。
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ぼくの言っていることは難しいことじゃないでしょう? (^^♪
ぼくは、こんな歳になっちゃったから、今さら流れの中で立ち止まる価値はそんなにありません。
なるべく若いうちから、この哲学的な考え方の訓練をすることの必要性をぼくは言っているのです。