誰も信じられない | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ぼくは無神論者であって特定の宗教を信じていません。

日本人においては自ら公言はしないものの、熱心な信者は少数派といっていいでしょう。

だって、結婚式はキリスト教、葬式は仏教なんてフツーにやらかしますもんね。

外国じゃ考えられん。

イスラム教徒がクリスマスパーティーで盛り上がっているなんてあり得ないっしょ。

下手すりゃ命が危ない。

いい加減が大好きなぼくは、つくづく日本に生まれて良かったと思いますよ。

・・・・・・・

でも、外国人ってどうして宗教に熱心なんだろう?・・・って思いません?

無宗教だというとコイツ正気か?・・・って目で見られかねません。

だから、buddhistだと一応答えておくのが無難だってみんな知ってますよね。

どうして彼らがこうも熱心なのか、その理由に気付きました。

それは、「誰も信じられない」からです。

日常の付き合いにおいて、常に「裏切られる」ことを想定しておかないと危険な社会で生活しているからなんです。

もちろん無意識なんですが、体に染み込んでしまっているのです。

いくら無意識とはいえ、猜疑心を抱えたままでは心に良い影響を与えない。

全面的に「信じられる」相手がいないと心のバランスがとれない。

だから神を信じるのです。

相手を信じることの危険な社会ほど信仰心は深くなっていくのです。

・・・・・・・

絶対に裏切らないのが神なのです。

神は100%信じるに足る対象でなきゃならないのです。

ところが世の中上手くいかないことだらけ。

そこで神に対する疑いが生じる。

イヤイヤ悪いのは自分の方なのだ、神様はもっと大きな視点で考えておられるのだ、自分に試練をお与えになっているのだ、自分の信仰心が足りないのだという葛藤が生まれる。

彼らが苦悩する理由が、無神論者のぼくからすると単純に見えるのですがね。

・・・・・・・

いっぽう日本はどうなのか。

そりゃあ人間も怖いけど、自然の方がもっと怖い。

だから、神様だらけになるのです。

他人を信用すれば、他人は信用で応えてくれる。

そんなユートピアみたいな、外人から見れば甘い隙だらけの社会が形成されたのです。