カミさんがご朱印状にハマり始めるとともに、「写経」にも懲ってきました。
オマケに上野の仏像展にも行く始末。
いったい何が彼女をそうさせるのか?💫
写経って般若心経の約270文字を書き写すことなんですね。
そもそも般若心経って、あの三蔵法師がインドまで行って持ち帰った経文を漢語に翻訳し、それをさらにエッセンスを凝縮したものらしいんですね。
ですからオリジナルはサンスクリット語なんですね。
お坊さんが唱えるお経を聞いても解らないわけだ。(^_^ゞ
「シャーリー」と聞こえていたのはシャーリープトラという高名な弟子の名前だったんですね。
舎利という当て字なのね。
あと、観音菩薩ってぇのは自在観音のことで、これも弟子の名前で人間だったのね。
神様だと思ってた。(^_^ゞ
もう、知らないことだらけ。
般若心経は、この自在観音さんがシャーリーちゃんにブッダの代わりに「(自分が)存在するとは何か」をテーマにレクチャーした記録なんですね。
これってもう、哲学そのものじゃない。
キリスト教やイスラム教は頭ごなしに「信じろ」という。
そこに理屈なんか無い。
「信じりゃ救われる」って、問答無用なんだもんね。
取りつく島がない。
さて、その般若心経で自分とは何か、存在とは何かについてどういう結論を出しているか?
・・・・・それが解りにくいんだよねぇ~~実に。
「色即是空 空即是色」だと言っているんですね。
即ち、世の中のあらゆるものは「空」であり実体の無いものだと。
そして万物は「無常」、つまり変化し続け、けっして定まらないものだと。
この辺は何となくぼくの考えと同じで、分かる気がする。
しかし、このことに「悟り」が開ければ貴方は世の苦しみから解放されるという、そのロジックがイマイチ解らない。
ぼくは、もうちょっとで解るかも知れないし、永遠に解らないかも知れない。
でも解ったとすれば、それって究極の「救い」だよね。
・・・・・・・
どうもブッダは「言葉」を信用していなかったようです。
だって、弟子を使って説明させているからです。
言葉にした途端、真意は伝わらない。
なぜなら、言葉は人間が作ったものだから。
この辺は他の神様と同じですね。
彼にとっては「無」がすべて。
無は無なんだからどうにも言葉で説明できない。
各自悟りを開いてもらうしかない。
それだと、あまりに不親切。
弟子たちに「ヒント」を用意させた。
そのヒントのひとつが般若心経ってこと。
・・・この解釈でいいですか?
さてさて、それでも般若心経を読んで解る人は少ない。
あまりにも圧縮してしまったから。
そこで、ブッダのサービス精神が旺盛なところは、万人でも救われる簡単な手段を用意していることなんです。
それは、「ギャーテーギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボウジーソワカー」と唱えればいいんです。
えっ?意味解んないって?
そりゃそうです、サンスクリット語なんですから。
無理に漢字を当てれば、「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」となります。
言葉で説明しても解らないんだから、「音」で感じるしかないのです。
ほんと、ブッダってナイスガイですね。(^^)/