・・・・・・・っということで、自分とは何か?
考えれば考えるほど自分というのは不思議な存在であります。
自分と他人を分けるものは何でしょう?
先ず、身体が違うという物質的な区分け。
目の前にコップに入った水がある。
水と自分は明らかに別々の物体であるけれど、その水を飲んだら自分と水は別々じゃない。
魚があったとしても同じ。
食べてしまうと自分と魚の区分けがつかなくなる。
人間を食べてしまうと大問題になってしまいますが、どうも自分と他人との区分けは物質的な問題じゃなさそう。
では、心というソフトウェアが異なるという考え。
ここに納豆があるとしよう。
一部の日本人を除けば、ホカホカのご飯にかけるイメージが湧いて美味しそうと思う。
だが、ほとんどの外国人は腐っていると思う。
その証拠に糸を引くし、嗅いでも分かるというだろう。
ものの見方が違うだけで納豆は納豆だ。
もし外国人が日本で育ったら納豆は美味しい食べ物に変わるはずだ。
ここでの外国人と日本人というソフトウェアの区分けは、生まれ育った環境が違うだけだと気付くはずである。
そんなふうに突き詰めていくと、実のところ他人と自分の間の区分けはそれほど明確ではないことが分かってくる。
他人と自分の間の壁は曖昧なのである。
このことはなにを示すだろう?
憎しみ合い、差別、いさかい、競争、いじめ、戦争などは区別することによって生じるのであることが解る。
そういった区別をするのはいったい誰だ?
自分じゃないか。
同じものを見ながら、見方が違うだけじゃないか。
もとを辿れば皆同じじゃないか。
そういう考えが持てれば、人間は一皮剥けるのである。