また行きたい佐渡島 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ぼくの旅行はいつも計画性がない。

とにかく行き当たりばったり。

今回の佐渡島旅行はずいぶん先から計画していたのですが、実際に旅程を決めたのは出発前日。

当初は2泊して全島一周するつもりでした。

フェリーとレンタカー、それと台風との兼ね合わせで昼のフェリーで入り、一泊後、翌日の最終便で島を発つことにしました。

実際は、雨が降ってきたので、フェリーは最終ひとつ前の夕方便にしたのでした。

・・・・・・・

両津の居酒屋で「佐渡は流刑人が金の採掘していたんでしょ?」と聞いたら、流刑人じゃなくて「無宿者」だと力説されてちょっと驚きました。

要するに犯罪者ではないというのです。

そのココロは、自分達は犯罪者の子孫じゃないと言いたかったのでしょうか。

そこで調べてみると、金の採掘が進むにつれ、人手が足りなくなったようなのです。

一番の理由は水の排水でした。

ですから、犯罪者を奴隷のようにこき使ったのではなく、相当の対価を払っていたのが事実でした。

無宿者とは、確かに犯罪者予備軍の無頼の徒も含まれていましたが、飢饉とか商業の発達で農業が成り立たなくなり、離農せざるを得なかった百姓が殆どだったそうです。

こういう人たちは戸籍から外され、仕方なく都会(江戸ね)に集まり、政情不安の種と見なされました。

そこで、江戸幕府はこういう無宿者を労働力として、天領である金山に送り込んだというわけです。

ですから、無宿者=犯罪者という単純な理解は間違っているのです。

・・・・・・・

とはいえ、佐渡島は「流刑の地」として古くから知られていました。

新潟港から見える佐渡島の島陰は、いかにも流刑の地に相応しいように見えます。

ここでも流刑=犯罪者という単純な公式は当てはめられません。

凶悪者というよりは「政治犯」「思想犯」の流刑地だったようです。

居酒屋の主人はこの事を特に力説していました。

その代表格が日蓮上人と世阿弥の二人です。

お恥ずかしいことに、佐渡島に行く前も、離れたあともぼくは知りませんでした。

何で佐渡島に能が定着したのか?

能舞台を見てもピンと来なかったのです。

なんたる不勉強、非常識。

あの日蓮が3年間流されていたんですよ。(@_@)

あの世阿弥が71歳にもなって流されていたんですよ。(@_@)

二人とも許されて帰郷することが出来ましたが、一人は一回り思想を深めて、もう一人は最後の生命力を搾り取られて島を離れたのでした。

・・・・・・・

佐渡島を離れるフェリーから遠ざかっていく島陰を見ながら「もう来ないな」と感じましたが、イヤイヤまた行くぞという気になっています。
(^^)/