・・・・・・・っということで、ぼくの旅行はいつも計画性がない。
とにかく行き当たりばったり。
今回の佐渡島旅行はずいぶん先から計画していたのですが、実際に旅程を決めたのは出発前日。
当初は2泊して全島一周するつもりでした。
フェリーとレンタカー、それと台風との兼ね合わせで昼のフェリーで入り、一泊後、翌日の最終便で島を発つことにしました。
実際は、雨が降ってきたので、フェリーは最終ひとつ前の夕方便にしたのでした。
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両津の居酒屋で「佐渡は流刑人が金の採掘していたんでしょ?」と聞いたら、流刑人じゃなくて「無宿者」だと力説されてちょっと驚きました。
要するに犯罪者ではないというのです。
そのココロは、自分達は犯罪者の子孫じゃないと言いたかったのでしょうか。
そこで調べてみると、金の採掘が進むにつれ、人手が足りなくなったようなのです。
一番の理由は水の排水でした。
ですから、犯罪者を奴隷のようにこき使ったのではなく、相当の対価を払っていたのが事実でした。
無宿者とは、確かに犯罪者予備軍の無頼の徒も含まれていましたが、飢饉とか商業の発達で農業が成り立たなくなり、離農せざるを得なかった百姓が殆どだったそうです。
こういう人たちは戸籍から外され、仕方なく都会(江戸ね)に集まり、政情不安の種と見なされました。
そこで、江戸幕府はこういう無宿者を労働力として、天領である金山に送り込んだというわけです。
ですから、無宿者=犯罪者という単純な理解は間違っているのです。
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とはいえ、佐渡島は「流刑の地」として古くから知られていました。
新潟港から見える佐渡島の島陰は、いかにも流刑の地に相応しいように見えます。
ここでも流刑=犯罪者という単純な公式は当てはめられません。
凶悪者というよりは「政治犯」「思想犯」の流刑地だったようです。
居酒屋の主人はこの事を特に力説していました。
その代表格が日蓮上人と世阿弥の二人です。
お恥ずかしいことに、佐渡島に行く前も、離れたあともぼくは知りませんでした。
何で佐渡島に能が定着したのか?
能舞台を見てもピンと来なかったのです。
なんたる不勉強、非常識。
あの日蓮が3年間流されていたんですよ。(@_@)
あの世阿弥が71歳にもなって流されていたんですよ。(@_@)
二人とも許されて帰郷することが出来ましたが、一人は一回り思想を深めて、もう一人は最後の生命力を搾り取られて島を離れたのでした。
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佐渡島を離れるフェリーから遠ざかっていく島陰を見ながら「もう来ないな」と感じましたが、イヤイヤまた行くぞという気になっています。
(^^)/