・・・・・・・っということで、救われるとは何かの続き。
最近の自然災害で被災された方たちは救いを求めています。
細かい点は抜きにして、物理的な救いを求めているハズです。
貧困から抜け出せない人は金銭的(経済的)な救いを求めているのでしょう。
イジメを受けている人は人間環境において救いを求めているのでしょう。
ぼくのように漠たる不安を抱えている人は心の(精神的)救いを求めているといえるでしょう。
単に救いといっても、物理的、経済的、環境的、精神的なものに分けられます。
では、「救われた」とはどういう状態を言うのでしょう。
押し寄せた土砂をきれいにして、水道電気などのインフラを回復し、通常の生活をスタート出来るまででしょう。
最低限の経済支援を受け、自ら働いて自立できるまででしょう。
イジメによる脅威を取り除くか改善し、精神的なケアをして、健全な人間環境を整えることでしょう。
心理学、宗教、哲学を通して心の不安を取り除くことでしょう。
それらの救いは、決して過度であってはならないハズです。
例えば、支援金のおかげで儲かったなんてことは、あってはならないことです。
そうすると、救いとは元の形にリセットすることじゃないですか?
リセットしてゼロから再スタート出来るようにすることでしょう。
当然のことながら、リセットしたあとは、自分の力で生きていかなければならない。
運悪く被災して家が全壊しても、自分で借金して建て直し、働いて返済しなければならない。
それが救いの基本であるハズです。
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宗教による(心の)救いも同じです。
心があるべき形にリセットさせるのが宗教の基本でしょう。
煩悩の固まりである人間の邪念、迷いを取り去って本来の人間に立ち帰らせることが宗教における救いです。
宗教に依存させる(する)ことが目的ではないのです。
では、本来の心の形とはなんでしょう?
それは、悟りを開いた心ではないでしょうか。
悟りをひらくことは並大抵な努力では達成出来ないといわれています。
たぶんそうなのでしょう。
でも、悟りを開いた境地とは、実は心がリセットされ、これからスタートするゼロ地点なのです。
そこから先は自らの力で開拓しなければならないのは、他の救いと同じなのです。
以上、救いについて。