水源と水源を水路で繋ぐことだそうです。
この場合、琵琶湖の水を京都に水路で持って来ることになります。
何で?・・・・が、ぼくの疑問。
だって、京都には鴨川が流れているじゃん。
まず浮かんだのが、若狭湾で荷揚げした物資を琵琶湖で水上輸送してそのまま京都に運ぶということ。
ならば、大運河でなきゃならない。
しかし、前回書いたように小舟を台車に載せて坂道を引っ張りあげる程度。
とても物流を本気で考えていたとは思われません。
次に考えたのが水道水や農業用水。
これなら分かる。
京都の東の山勝ちな地域に水を安定供給する?
でも、重要なお寺は沢山あるけど、農業地域じゃないよね。
最後に、水力発電用。
しかし、当時の発電装置はこの程度。↓
そのために、当時の京都市の2年分以上の予算を注ぎ込み、5年の歳月をかけて山にトンネルを掘り、多くの人員を動員して人命を犠牲にしてまで造らなければならなかったのか?
以下、ぼくの説。
明治になり、天皇が東京に引っ越していってしまった。
京都を元気付ける何か事業を始めたい。
これから土木技術を学ばなければならない。
日本人技術者の早急な養成が望まれる。
日本人だけで土木事業を実行したい。
文明開化とは何かを、日本人に見せ付ける必要がある。
そこで京都を土木技術のテーマパークにしよう!
無駄だとは言えないけれど、相当なこじつけでこの琵琶湖疏水事業は実行されたと思うのです。
琵琶湖疏水記念館。
現在の疏水↓
たった5年で、ほとんどの工事が人力によって成されたと思うと、感無量になってしまいます。





