・・・・・・・っということで、「信じる」ことについて考えてみます。
どこかの宗教は街頭で「神を信じなさい」なんてスピーカーで流していますね。
その信じるとは、神の存在を信じなさいと言っているのか、聖書に書いてあることを信じなさいと言っているのか良く分かりません。
神の存在を信じなさいなら、「じゃあ存在を証明してみろよ」とぼくのような人間に詰め寄られるのがオチです。
何れにしろ「信じる」とは、「可能性を信じなさい」という意味でしょう。
既に証明された事実なら、「信じる」じゃなくて「認める」となるはずですよね。
復活したキリストが本物かどうか、傷の穴に指を突っ込んで確かめたトマスがぼくは好きなのですが、確かめた後のトマスは信じたじゃなくて、認めたであるはずです。
殆どのキリスト信者はキリストの存在を信じるものであって、認めた者の数は極端に少ないのです。
すると、存在しないかもしれないが、存在を信じるとなり、
聖書は間違っているかもしれないけれど、真実だと信じるとなるのです。
ぼくのような無心論者が気をつけなければいけない点は、信じる者を間違いだと断定することです。
だって、相手は可能性を信じているのですから。
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すると、「信じる者は救われる」という言葉の意味がちょこっと分かってきます。
相手は、信じる者が救われる可能性を信じているのですから。
・・・つづく。