イチローならでは | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・・っということで、イチロー君は野球界に限らず日本の英雄だから変なことは書けない。

彼のことを知らないなら尚更だ。

ぼくが彼を実際に見たのは東京ドーム。(最初で最後の試合観戦。)

凄まじい特大ホームランを放った日だから、野球好きならその試合を知っているかもしれない。

その後、彼はMLBでプレーするようになり、NHKBSで彼の打席だけを楽しみに見ていた。

そっか、あれから18年が経ち、彼も44歳、今朝のTVで遠目には歳相応のオッサンの姿だった。

球団からのオファーを受け入れ、今季は選手としてプレーすることはないという。

いくら彼が偉大なスター選手といえども、監督が使えないと判断すれば出場できない。

実力社会だから当然である。

本来なら彼は引退を選択してもよかった。

だって、どの球団も使ってくれないんだもの。

球団側は彼の価値は選手だけでないと知っている。

実にアメリカらしい、ビジネスファーストのオファーである。

・・・・・・・

引退。

男性にはほぼ付き物の人生の区切りである。

彼の生きる世界では、サラリーマンと異なり、自分で区切りをつけなくてはならない。

怪我などの不可抗力も含め、決定するのはあくまで自分である。

今回彼が引退を決意しないのは、彼がまだMLBで戦えるレベルを維持していると判断したからだろう。

しかし、当たり前に見えるこの判断が出来る選手はザラにはいない。

普通は余力を残しながら引退するのが美しいとされるからだ。

いわゆる散り際の美だ。(これは日本だけの美意識じゃない。)

逆にしがみついていると、みっともないとされる。

そういう意味で、今回の決定は異例だろう。

イチロー選手だからの流石の選択肢だろう。

・・・・・・・・・

ナンか、言いたいことがあって、その回りをぐるぐる回っているだけの文章になってしまったが、もちろん自分の引退と想いを重ねている。

ぼくの場合は、「待ってました定年」だった。

自分では充分余力を残した引退だったつもりである。

自分の気持ちに反して、二度ほど再就職をしてみたが、この歳になると自分を騙すことはできなかった。

ぼくと彼の引退を比較するなんて恐れ多すぎるけれど、誰にでも訪れる人生の区切り。

しがみつくのも良し、あっさり次の人生に踏み出すも良し。

人生におけるいくつかの分岐点の一つに過ぎないけれど、とても味わい深いものなんですよ、イチロー君。

(^ω^)