・・・・・・・っということで、分かるということはどういうことかまた考えてみました。
またというのは、このブログで既に何回か触れているからです。
分かる、判る、解るの違いについてとか、分かるとは自分の中で分類してとりあえず「分かった」というボックスに入れておくことなんかを書いた覚えがあります。(^^ゞ
今回は分かるというそのものについて考えてみます。
ある物事の本質、原理を理解できることが分かるということでしょう?
すると、本質とは何か、原理とは何かを考えなきゃならなくなるのです。
例えば生命の本質は何か?
ブラックホールの原理とは何か?
など、とてもその本質や原理に到達できそうにもありません。
ならば、そんなもの無いかと問われれば生命やブラックホールは存在する。
存在するのに分からない。
しかし、研究したり深く考えれば近づくことは出来る。
近づくけれど、実は結局分からないことを知っているのじゃないだろうか。
研究してDNAの配列まで人類は到達できた。
だが、何でDNAが存在するかは分からない。
引力の存在は分かった。
でも、物体が引き合う引力そのものについては分からない。
分からないものについて考えることは無駄だろうか。
もちろんムダじゃない。
DNAの研究、宇宙開発が無駄じゃないどころか、有用であることは説明の必要もないだろう。
結局「分かる」ということは、その時点でそう「解釈できる」ことではないか。
解釈は絶対ではなく、変わる余地があるというニュアンスを含んでいる。
そして解釈には様々あって、解釈は一つではないことです。
解釈に解釈を積み重ねていくのが「分かる」の本質なのです。
分かりました? ^m^