また「分かるということ」 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、分かるということはどういうことかまた考えてみました。

またというのは、このブログで既に何回か触れているからです。

分かる、判る、解るの違いについてとか、分かるとは自分の中で分類してとりあえず「分かった」というボックスに入れておくことなんかを書いた覚えがあります。(^^ゞ

今回は分かるというそのものについて考えてみます。

ある物事の本質、原理を理解できることが分かるということでしょう?

すると、本質とは何か、原理とは何かを考えなきゃならなくなるのです。


例えば生命の本質は何か?

ブラックホールの原理とは何か?

など、とてもその本質や原理に到達できそうにもありません。

ならば、そんなもの無いかと問われれば生命やブラックホールは存在する。

存在するのに分からない。

しかし、研究したり深く考えれば近づくことは出来る。


近づくけれど、実は結局分からないことを知っているのじゃないだろうか。

研究してDNAの配列まで人類は到達できた。

だが、何でDNAが存在するかは分からない。

引力の存在は分かった。

でも、物体が引き合う引力そのものについては分からない。


分からないものについて考えることは無駄だろうか。

もちろんムダじゃない。

DNAの研究、宇宙開発が無駄じゃないどころか、有用であることは説明の必要もないだろう。


結局「分かる」ということは、その時点でそう「解釈できる」ことではないか。

解釈は絶対ではなく、変わる余地があるというニュアンスを含んでいる。

そして解釈には様々あって、解釈は一つではないことです。

解釈に解釈を積み重ねていくのが「分かる」の本質なのです。


分かりました? ^m^