・・・・・・・っということで、キリスト教の基本中の基本だけれど、理解できないこと。
それは「原罪」と「贖罪」という感覚です。
原罪とは人は生まれながらに罪を背負っているという考え方。
人間の原点であるアダムとイヴがエデンから追放されたのは、罪を犯したからですよね。
その罪というのは、神が禁止していた善悪の知識の実を象徴するリンゴを食べたからです。
ぼくに言わせればそれが罪に当たるんかよ・・・と聞きたくなりますが、とにかく人間は全員が罪人なのです。
これが【原罪】。
まず、これを理解しなきゃならない。
次にイエスが十字架にかかったのは(後で生き返りますが^m^)、それは神の子であるイエスが人間の罪を背負って死んだからだということになっています。
なぜそのことが人間の罪を背負うことになるのか、ぼくにはそのロジックが納得できないのですが、本来ならイエスは罪を裁く側の神(イエスは神だということになっています)だからなのです。
イエスのおかげで、罪人である人間は罪を背負う必要が無くなり楽チンなのだというのです。
これが【贖罪】。
たぶんぼくの理解はキリスト信者からすれば浅すぎだとか、解釈が間違っていると糾弾されるに違いありません。
しかし、聖書のイエスが磔(はりつけ)に至る記述をどんだけ読んでも、イエスがオレは人間の罪を全部引っかぶって死んでやるんだなんて一言も言っていません。
また、キリスト信者から、だからオマエは行間を読む力が無いんだと、ボロクソに貶されるでしょう。
でもサ、おギャァ~~と泣いて生まれた赤ちゃんに対して、オマエは罪を背負ってこの世に生まれたんだゾなんて考える親がいったいどこにいるのでしょう?
生まれたこと自体が罪だなんて、いったいどこの誰がどんな資格でいえるんじゃ?
たとえアンタが神であったとしても、信者を増やしたいだけの魂胆じゃないか?
とぼくのような不信の徒でなくとも言いたくなるじゃないですか。
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しかし、キリスト教はあのロジック大好き人間であるヨーロッパ人に広まったこともまた事実。
原罪と贖罪をロジカルに説明納得しようとするはずです。
だから、聖書研究に没頭し、神学なんて学問を作って理論武装に勤しんできたのじゃないですか?
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日本人であるぼくにはますます分からなくなる。
そこで、考えた。
キリスト教はまず遊牧民族の間で生まれた宗教であることに着目します。
次に広まったのが、狩猟民族の社会。
両方とも、動物を殺して生きることが基本です。
すると、(神が創造した)動物を殺すという「罪」、農耕民族である日本人から見て明らかに「罪」を犯さなきゃならない。
これが原罪という概念を抵抗なく受け入れる素地を作ったんじゃないでしょうか。