・・・・・・・っということで、朝鮮の歴史を調べています。
前回は、朝鮮が統一されたのは10世紀始め高麗であり、その後元による征服があったものの、李氏朝鮮、朝鮮帝国と千年に渡ってひとつの国家として継続してきたことを知りました。
今回は、なぜ38度線で東西に分断されたかを見ていきます。
太平洋戦争の終結とともに、日本による植民地支配は終わりました。
ぶっちゃけて言えば、戦後処理のゴタゴタのときに、どうも朝鮮半島は後回しにされていたようなのですね。
とりあえず朝鮮は連合軍の統治下に入りました。
朝鮮の人がどう言おうと、連合軍にとって朝鮮は敵国の日本の同盟国であったわけです。
実際に、朝鮮総督府は上陸してきたアメリカ軍と降伏文書を取り交わしています。
38度線という具体的な提案をしたのは、どうやらアメリカのトルーマン大統領だったようです。
落ち着くまで暫定的に北はソ連、南はアメリカの管轄下に入りました。
もちろん両国の立場は連合軍の一員としてです。
このまま連合軍の臨時統治が終われば、朝鮮は一つの国家として再出発してメデタシメデタシとなるはずでした。
当時、アメリカは日本を防衛ラインとして、朝鮮をそれほど重要視していなかったようなのです。
一方、中国は毛沢東率いる中国共産党と蒋介石率いる国民党との内戦で、朝鮮半島どころではありませんでした。
その空白の時間を突いたのがソ連なのです。
ソ連は北朝鮮に金日成、アメリカは南朝鮮に(アメリカに亡命していた)李承晩を立ててそれぞれの傀儡政権を樹立しました。
1950年になると突如北朝鮮が38度線を越えて南に侵攻し、ご存知朝鮮戦争が勃発したのです。
以上の動きを見ると、ソ連は半島の空白状態を利用し、「漁夫の利」を得ようとしていたと考えるべきでしょう。
さらに見ていくと、李承晩もワルい奴だったのです。(李承晩ラインを制定したり、竹島を占領した張本人ですから。)
彼は韓国の大統領に就任すると、北に侵攻し朝鮮統一を主張したのです。(考えることは金日成も同じね。)
なんて事はない、アメリカもソ連と同じような手段を使って、朝鮮半島を支配しようとしていたのです。
単に北朝鮮が戦争の準備が早く、先手を打ったに過ぎないのです。
ここで注意しなければならないのは、南に韓国という独立国を誕生させることは、38度線を固定化するという意味でもあります。
当然のことながら、マトモな朝鮮人なら、それに反対するはずです。
しかし、防共という理由の近視眼的なアメリカが韓国の独立を後押しし、現在の分断の種をまいたことは忘れてはなりません。
もちろんマトモな朝鮮人は独立選挙に対して反対運動を起こし、この運動は李承晩によって弾圧され多くの人々が虐殺されました。
ぼくは知らなかったのですが、済州島四・三事件のことは日本人も知るべきでしょう。
(3万人以上が殺害されました。多くの人々が日本に逃れ在日になりました。)
ぼくらは北朝鮮と中国が密接に結びついていることを知っています。
そして、朝鮮戦争の末期には中国が参戦してきたことも知っていますね。
ソ連が後押ししていたのに、何で中国?と思いますよね。
それは、アメリカ軍が仁川に再上陸して、北朝鮮側を38度線を越えて北進し、ついには中国国境の鴨緑江に到達したからなのです。
朝鮮戦争の始まった年1950年の前年に、中国共産党は国民党軍に勝利し、蒋介石は台湾に逃げ込んでいたのです。
ですから、この時点で中国は朝鮮に関与できる余裕が持てたのです。
さすがに中国とアメリカが直接戦争するのはマズいので、中国は義勇軍という形式をとって大量の兵力を投入し元の38度線までアメリカ軍を押し戻したというわけなのです。
以上が、38度線で朝鮮が南北に分かれたという過程です。
こうやって自分なりに調べていくと、実に面白いですね。
もちろんぼくがサラッと調べただけで、思い違いが随所にあるのは承知の上です。
果たして南北の統一は実現するのでしょうか?
先ずはムン・ジェインさんに聞いてみたいところです。^m^
・・・・もうちょっとつづく。