もっと調べてから行けば良かった。
ぼくの旅行パターンはいつもこんな具合です。
十分下調べしてからとは逆に、思い立ったらすぐ行きたくなるタイプ。
行き当たりばったり。
諏訪大社下社秋宮(下諏訪下車)の隣に広くて見晴らしのよい駐車場があるんです。
なんと、ここは霞が城の城址なんですね。
目立たぬように看板が一つ立っているだけ。
諏訪大社のホームページにさえ載っていません。
説明書きによると・・・
「築城年代は定かではないが治承年間(1177年~1181年)に手塚太郎光盛によって築かれたと云われる。 手塚光盛は金刺光盛ともいい源義仲の挙兵に従った。寿永2年(1183年)加賀の篠原の戦いでは、敗走する平家軍の中でただ一人踏みとどまって奮戦する斎藤実盛と壮絶な一騎打ちを行い、その首を討ち取ったことが「平家物語」に記されている。」こちらから転載
実は斎藤実盛は木曽義仲が幼い頃の恩人だったそうなんですね。
敵味方に別れたとはいえ、日本人が好きな悲劇的なドラマですね。
去年旅行した木曽路の木曽義仲と下諏訪がここで結び付くんですね。
歴史を辿って旅行する面白さはこういう結び付きですね。
本を読んだだけじゃ体験できない。
そんな歴史のある城址なのに、駐車場だぜ。(-_-;)
とはいえ、こんな立派な銅像が建っています。
金刺 盛澄(かなさし の もりずみ)
彼の弟が上で書いた手塚光盛(金刺光盛)なのね。
弟と異なり、彼は平家側だったため捕縛され、頼朝に処刑されそうになったとき、殺す前にせめて彼の弓の腕前を見てからにしてくれと嘆願されたそうです。
頼朝はわざと暴れ馬を用意して騎乗させたが、見事的を全て撃ち抜いたため彼の家来たち共々助命されたとのこと。
以上、吾妻鏡に書かれているそうです。
これにて今回の下諏訪1日旅行はオシマイ。
お御渡りを見られなくとも、是非ご旅行ください。
途中、小淵沢で1時間弱の待ち合わせ時間があったので、燃料補給。f(^_^;


