・・・・・・・っということで、宮古島を自然という側面ではなく、島の人々という側面で見たい人にお勧めの本です。
学生同士のラインのやりとりを文章化したような文体。
ほとんどの部分が宮古島の方言の解説や独特の習慣で終始していて読みづらい。
それでも我慢して読んでみると、最後の20ページが出色の出来である。
その部分は執筆者たちの宮古島への思いが正直に語られているのです。
ぼくらは旅行者。
短期間その土地を訪れるだけである。
中には永住したくなるほど好きになって、実際に行動に移す人も多数。
それほど宮古島は人を引き付ける魅力があるのだろう。
だが、移住をした人の殆どは2年持たずに去っていくという。(地元の社長談)
一方、この島で生まれ青春を過ごした人たち。
旅行者とはまったく違う宮古島への愛がある。
彼らの結びつきは濃い。
本土で生まれ育ったぼくらナイチャーや、沖縄本島、石垣島とも異なった強い仲間意識がある。
彼らには小さな世界で育ったことへの引け目が伺えない。
反対に、自分たちの独自性を笑う余裕さえある。
これをなんと表現すべきだろうか。
都会では他人との関係は希薄になる。
島では否応なしに密になる。
アタリマエと思うだろう。
しかし、そのアタリマエを超えた何かが宮古島の人々を結び付けている。
単に島という閉ざされた環境がその理由とは思えないのである。
単なる島の文化ではなく、宮古島文化と表現すべきだろうか。
日本の沖縄県に属すひとつの島であるけれど、世界のどこにもない独特の精神文化があるのである。
ぼくら外部の人間は、宮古島の魅力を自然だとか、人々のホスピタリティーだとか、生活のしやすさとか、そんなふうに分析するだろう。
なのに、移住した人たちがこの島を短期間に去っていくのはどうしてだろう?
地元の人との人間関係を築けないからだろうか。
そうかも知れない。
しかし、ぼくはこの島への愛の深さというか、「質」が全く異なっているからだと思う。
外部から来た人間は、頭では島への愛は理解できても、地元の人たちのような体全体で理解できないだろう。
なぜなら、彼らは宮古島と血縁関係にあるのだから。
最後の20ページだけを読めば、なんとなく理解できると思いますよ。(^^♪
ほとんどの部分が宮古島の方言の解説や独特の習慣で終始していて読みづらい。
それでも我慢して読んでみると、最後の20ページが出色の出来である。
その部分は執筆者たちの宮古島への思いが正直に語られているのです。
ぼくらは旅行者。
短期間その土地を訪れるだけである。
中には永住したくなるほど好きになって、実際に行動に移す人も多数。
それほど宮古島は人を引き付ける魅力があるのだろう。
だが、移住をした人の殆どは2年持たずに去っていくという。(地元の社長談)
一方、この島で生まれ青春を過ごした人たち。
旅行者とはまったく違う宮古島への愛がある。
彼らの結びつきは濃い。
本土で生まれ育ったぼくらナイチャーや、沖縄本島、石垣島とも異なった強い仲間意識がある。
彼らには小さな世界で育ったことへの引け目が伺えない。
反対に、自分たちの独自性を笑う余裕さえある。
これをなんと表現すべきだろうか。
都会では他人との関係は希薄になる。
島では否応なしに密になる。
アタリマエと思うだろう。
しかし、そのアタリマエを超えた何かが宮古島の人々を結び付けている。
単に島という閉ざされた環境がその理由とは思えないのである。
単なる島の文化ではなく、宮古島文化と表現すべきだろうか。
日本の沖縄県に属すひとつの島であるけれど、世界のどこにもない独特の精神文化があるのである。
ぼくら外部の人間は、宮古島の魅力を自然だとか、人々のホスピタリティーだとか、生活のしやすさとか、そんなふうに分析するだろう。
なのに、移住した人たちがこの島を短期間に去っていくのはどうしてだろう?
地元の人との人間関係を築けないからだろうか。
そうかも知れない。
しかし、ぼくはこの島への愛の深さというか、「質」が全く異なっているからだと思う。
外部から来た人間は、頭では島への愛は理解できても、地元の人たちのような体全体で理解できないだろう。
なぜなら、彼らは宮古島と血縁関係にあるのだから。
最後の20ページだけを読めば、なんとなく理解できると思いますよ。(^^♪
