・・・・・・・っということで、世の中は進んだものである。
黒人のゲイが悩む映画を製作して、それがアカデミー作品賞を獲得する時代になったのだから。
ゲイの映画というと、【ブロークバックマウンテン】を思い出さざるを得ない。
あれは白人同士で、しかも本来なら男っぽいはずのカウボーイの話だったからショックは大きかった。
こちらは黒人の話だから、タブーへの踏み込み方は一歩も二歩も踏み込んでいるといえよう。
・・・・・・・
どちらの作品も個人的には後味が悪い。
いい映画であることは間違いないが、後味が悪いのである。
ゲイに偏見を持っているからだと自分で分析する。
・・・・・・・
世の中は、そういう偏見や差別を持ってはいけないと教える。
一昔なら考えられないくらいの進歩だといえよう。
もう一度自分に問うてみる。
ぼくは偏見を持っているのだろうか?・・・・と。
偏見を持っている人間だから、正しい人間にならなければならないのか?・・・・と。
常ひごろ、ぼくは差別や偏見から自由でありたいと願っている。
しかし、この後味の悪さの正体は何だろう?
・・・・・・・
映画はそういう偏見に対するプロテストだろうか。
それもあるだろう。
黒人への偏見への告発だろうか。
この映画を観ると、黒人も同じ人間だと誰もが感じるだろう。
しかし、そういう告発とかプロテストだけではない、もっと大きなことをこの映画は問うているようだ。
母性とは、父性とは、友情とは、正義とは、純粋な愛とは、自由とは・・・・・・・
『自分の生き方を他人に決めさせてはいけない』という台詞はとても強烈だ。
いや、その台詞以上に『月明かりの下では、黒人の肌はブルーに見える』のほうが主題に近いだろう。
・・・・・・・
後味は悪いけれど、いい映画であることは間違いない。