・・・・・・・っということで、ぼくは宗教は人を救済する力があると考えています。
ということは、宗教は人を救済するためにあるべきだと思うのです。
とかく人生というものは、人知の及ばない、どうしても理解できない不条理なことが起きるものです。
人間を超える神の存在を信じることにより、自分の現状を納得させる。
そういう効果が宗教には備わっていると思います。
だからこそキリスト教は貧しい人、虐げられた民の間に生まれ広まったのでしょう。
それはキリスト教以外の宗教にも共通するものでしょう。
宗教はもともと弱者のためのものなのです。
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宗教が広まる過程で、識者、権力者、裕福な者も加わっていきます。
時代を経るに従い、救済を基本としていた宗教は様々な解釈が加えられ、変容を遂げていくのは自明の理です。
もともと弱者のためだったものが、強者のためのものとして利用されるようになったことは否定できませんよね。
もともと人々を救済する為の宗教が、人々を支配するために利用される。
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もちろん救済するだけが宗教の効能ではありません。
自由に伸び伸びと人生を送るためにも役立つでしょう。
しかし、多くの手垢が付く度に、本来の姿とは別物の、何やら高尚なもの、分かりにくいもの、複雑なもの、有り難いものに姿を変えていきます。
特にキリスト教は変容が著しい。
カソリックとプロテスタントに大きく別れ、さらに沢山の宗派が枝分かれしています。
それぞれの宗派がその正当性を主張しています。
昔のように血みどろの宗教戦争は起こしていないものの、各宗派は厳密な解釈上の違いは許容できないはずです。
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宗教を知ろうとすればするほど、無神論者のぼくにとって、宗教に対する興味が急速に萎んでいきます。
そこまでして救済されたくないや。
宗教の力を借りなくとも自助努力で克服してやるわ・・・という気分になります。
特定の宗教に属していなくとも、宗教的に生きるってそういうことです。